2006年4月13日 (木)

銀座の飲み会

ラスベガスに飛ぶはずが(ブログの記事のなかで。)なかなか飛べません。
そこで今日は銀座で一息入れてまいりましたので、そんな話でお許し下さい。

夕方、画廊のオープニングパーティに顔を出し、私から見たら人生の大先輩の方が殆んどの二次会に出かけてまいりました。
若い作家と飲むのとは可也話題も雰囲気も違いますが、何れにせよ一般の方と飲むのとは趣を異にする感じがします。
年齢を感じさせない若さがあって、物つくりの人独特の世界をそれぞれ持っています。
仕事に定年が無い人達というのは今が旬であるともいえます。
私などには理解できない”生みの苦しみ”が常にあるのかもしれませんが、それを感じさせない楽しい方たちです。

グループ展の方はそれぞれの所属する会とは別の企画展のため異質な絵画が同居しており面白いものです。その中から好きなものとおもしろいものをご紹介します。

一つは佐藤忠弘氏の絵画。今回は抽象より具象にちかいもの。キャンパスの中心に黒い仏像が座しているが両側をパイプらしきもので支えている。しかも後ろ向きである。
作家の現代という時代をとらえる確かな眼が存在する。
不安定な時代であり支えが必要であるという、しかも何処か時代に背をそむけたくなる、見たくないというメタファーの現われだろうか。
メッセージがある面白い作品に仕上がっている。

もう一つは創作画家の前田真里氏。この人の絵は女性が好みそうである。”岩崎千尋のような絵”といえば理解して頂けるだろうか。かわいくて夢がいっぱい詰まっているような絵である。作家その人も、とてもかわいい方で絵に重ねてしまう。一緒に飲んでいる時も楽しくてかわいい方である。最近、とてもお忙しい方で俗に言う売れっ子作家である。大阪、仙台、札幌で、たて続けに三越などで個展を開かれるようである。東京は7月になるようだが、もし興味のある方はこの場でお知らせもするのでぜひ覗いて頂きたい。

感想はこんな所でしょうか。私の下手な主観より映像を載せた方がはるかにいいと思うのですが、ブログの主旨もあり、何といってもご本人達に了解を取っていませんのでお許し下さい。

場所は有楽町マリオンの横、高速の高架橋下にある朝日アートギャラリーです。
日曜までやっていますので銀座にお出かけの方は、ぜひ覗いて見てください。
また、以前からこの場で言っておりますが時間のある方は画廊遊びなどもしてくだされば、また新しい発見があるかもしれません。

ここのところ少し余裕が無いため、ブログの更新も遅れがちです。申し訳有りません。
時間を見つけて書こうとは思っていますので、時々は覗いて頂けますよう宜しくお願い致します。

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2006年3月10日 (金)

画廊でチョッとひとやすみ

昨日、今日とココログ(nifty)が全く機能せず更新しようとやる気満々だったのに、気分を削がれてしまいました。と、都合の良い言い訳が出来たのですが。
ココログは本当にトラブルが多く謝罪ばかりです。皆さんの使っておられるものはどうでしょうか。有料でこうなんですから、他に乗り換えた方が良いのかもしれません。

今日は予定を変えさせてください。次回は続編に戻ります。昨日、午後より知人の立体の作家さんの個展に顔を出すために銀座に立ち寄りました。
ここを覗いて下さる方には私などより美術全般に造詣の深い方もおられますし、画廊などに良くあしを運ばれる方も。
ただ、殆んどの方は、画廊というとなぜか入りにくい場所というイメージをお持ちではないでしょうか。確かに気楽に入るというより気臥まえてしまう空間かもしれません。
ですが、勿体無いですよ。私に言わせると。
時々面白いものに出会いますし、思いがけず心の琴線に触れることもあるかもしれません。第一、ただですよ。無理やり買わせられることはまずありません。
店のひとの目が気になる?むしろ店にとっては、見るだけでもありがたいお客様なんです。もし、感じの悪い店などあったら、そんな店は碌なものを扱っていないと思います。(値段ではなく作品の質で。)
気軽に覗いてみてください。ぜひお勧めしたい銀座の遊び方です。

というわけで、ついでに何軒か覗いてきました。画廊の数がかなり減ったといってもそこは銀座、随分いろんな作品に巡り会えます。版画や写真展なども面白いものがありました。
最後に目的の先生の個展に顔を出しました。

この方は立体の作家さんといいましたが、一貫したテーマは”空間芸術”です。
演劇や映画が時間の造形であるのに対して美術作品は空間的な表現であり、空間を造形することといわれます。その意味で紛れも無く美術作品です。
”木”などを題材にされ様々な、空間を創り出します。
海外でも積極的に活動されています。
今回の作品は今までと違った色合いで、素人目にはあまりにもシンプルでした。”光と影”あるいは”可視的と不可視的のもの”というキーワードが浮かびました。

このブログに遊びに来てくださる方の中には関西や東海にお住まいの方も居られますが東京近辺の方はぜひ銀座にお出かけの折にはお立ち寄りください。
作家は丁寧な方ですので、ぜひ声を掛けて話をしてみてください。
私の紹介などは必要ありませんが、望まれる場合は私にいってくだされば作家には伝わるようにしておきます。

また、この個展に都合悪い方などは、お住まいのお近くの画廊にぜひ一度飛び込んでみてください。
新しい発見があるかもしれません。私のささやかなお願いです。

最後に今回の作家の個展の告知をしておきます。

”加賀谷武展”  場所・・シロタ画廊(銀座・松坂屋の裏の筋の通り、ヤマハの真裏)
3572-7971  3月6日~18日まで  http://www.gaden.jp/shirota.html

上記HPでご確認下さい。
それから、万が一、作品を見て”自分の部屋にもほしいなあー”などと思われる方がおられましたら、私のHPにメールを下さい。値段、その他、ご相談させて頂きます。
勿論、個展で購買を勧められることは絶対にありませんので、ご安心下さい。
ご友人などお誘いあわせの上、気軽に見にいって頂きたいと思います。
宜しくお願いいたします。

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2006年2月21日 (火)

今夜もトリノ

こんばんわ。なかなか更新しない私のブログに痺れをきらした悪友が事務所に電話を掛けて来ます。コメントは書かないでいつも読んで笑っているクチです。いつも”忙しくて休みも執れない”などといっていますが、本当に仕事しているのでしょうか。
私などからみたらビジネスの最前線にいるエーリート達ですが、どうせ碌な事をしていないと思われます。”世間を欺くことだけはするなよ。”と言ってやりましたが、組織の中では・・・。
電話の後、久しぶりに気分がよくなりました。いつも仕事の事でつまらない問題ばかり抱えています。友人達が羨ましく思えることばかりですが、唯一私には何事にも自分で決断を下せる立場があります。明日どうなるかすら判らない零細企業なんですが。

自分でいうのもなんですが京都で過ごした学生時代から人並み以上にいろんな経験をしてきました。多くの方に迷惑を掛け、世話になりっぱなしでしたが教えられことが一つあります。
それは、正直に生きることです。人に対して、自分に対して。
私は性善説を信じているわけではありませんし、騙そうとおもって近寄ってくる人もいることも知っていますが、愚直でもこれを通せる人が最終的に目的を達することができると信じています。

皆さんにも素晴らしい支えとなる信念があると思いますが、私も恥ずかしながら、表現者であり続けることと、感動することを忘れない気持ちを常に持ち続けたいと思っています。
話が理屈っぽくなってしまいました。すいません。そうだトリノのことを書くはずだった。

話題がそれてしまいましたが、ひとつだけ内輪話を。私の得意分野ですが、今話題のフィギアスケートに関して。
私のビジネスのパートナーであるK氏は名古屋出身ですが、この地が日本のスケートの中心であることは皆さんご存知だと思います。彼のお父さんはこの世界の重鎮だった方らしいのですが家族全員、一流選手になりました。
友人のお兄さんはグルノーブルオリンピックの日本代表ですし、お姉さんは日本のトップ選手であり、現在も甥っ子が国体で優勝しているスケート一家です。
当然、兄弟たちは指導者になっていますが、お姉さんは2,3カ月前、週刊誌を賑わせました。
最近有名なA選手を子供の頃から少し前まで育てた人なんですが、”Aは4回転を飛べていない”などと発言して物議を醸しました。
私が採点競技のことを前回書いたのも偶然ではないのですが、独特の世界であるようです。友人の話をここで書けないのは残念ですが(抗議の電話がきそうですが、掛けて来てもダメです。)すべて、伝聞ですので私の言葉として言えることではありません。

私などは友人の存在もありフィギアースケートなどは本当に応援しています。
何か焦点の定まらない文章を書いてしまいました。次回は何を書こうか、どなたかアイデアを・・・・・・。

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2006年2月 9日 (木)

美術家の集う所 その2

今回はその2ということで書かせていただきます。最近、銀座の比較的有名な貸し画廊で、
ある地方在住の油絵の作家さんの企画展を手伝いました。

私のお世話になっている画家さんのお弟子さんですが、頼まれたこともあり、また以前より存じ上げていたので、お手伝いすることにしました。
お弟子さんといっても、私などより大先輩の年齢の方であり、地元の画家さんの協会の重鎮です。
この方は、地方の方に珍しく、銀座で定期的に個展を開いておられる恵まれた方というか、お金を掛けることができる方です。それでも、今回は今までよりは可也お金の掛かったものになりました。

皆さんは個展を開く費用がいくらくらい掛かるご興味あるかもしれません。中には、デパートや画廊の丸抱えというものもありますが、稀な恵まれたものですし、その場合は主催者のシェアーも当然大きくなります。費用はもちろんピンからキリまでですが、画廊代、展示絵画の配送に掛かる宅配代、パンフレットなどの印刷代、オープニングのデリバリー代そして、美術評論家の先生の原稿代、プレスリリースなどの経費等‥。
この時の総予算は新車一台分ぐらいとお伝えしておきます。
作家にとっては大変な負担でありますし、こんなにお金を懸けれる人はホンの一部の人だと思います。私の知っている狭い範囲ではありますが。

この時の私の役目は、画廊との連絡役、プレスリリースの手配、オープニングのパーティの企画そして司会などです。しかし、殆んどは力仕事要員です。初日前日の取り付けを作家と二人ですることや、当日のパーティ準備などの土方仕事など、周りの方のお年を考えると私はこれでも若手ですので何でもやるわけです。

当日のパーティは平日の夕方でしたので、招待のお客さんの入りが心配でした。画家さんが地方の方ですので田舎から来る人は限られます。そこで、大御所の方々にお願いして関係者の方に声をかけて頂いたお蔭で4,50人の方に来ていただいたのです。
ただ、経験上、年齢層が可也高くなることはわかっていましたので、すこし仕掛けをしました。私の友人達は兎に角忙しい年代ですが、無理を言ってきてもらったのが会計事務所の若い人達、銀行員の友人の部下など。

ただ、これは素晴らしい効果があります。先生達は若い人たちと話が弾み、場は明るくなります。そして、何より無理に来てくれた本人達が、普段なかなか経験できないことに接して大変満足して帰ってくれることです。

この日は、パフォーマンスに予定していたバイオリンが急遽だめになることはありましたが、名の知れた評論家をゲストに呼べたり、作家の友人のスポーツ界の偉い人がきて盛り上げてくれたり、いろんな人の協力で主催者の作家はご満悦ではありました。

パーティでどんなことがあるかというと、招待しない人が飲み食いしているときがあります。いろんな人がいるものです。バブルの頃の比べると、そのような人も減ったと思いますが、このような人は大した問題ではありません。
置き引きやご祝儀泥棒には気をつけなければなりませんが、そんな人すら少なくなったかもしれません、。
むしろ、画廊が嫌がるのは、前回も言ったことですが、他の貸し画廊のオーナーなどが入って作家達に暗に営業を懸ける事です。また、美術雑誌関係の名簿のセールスの人が何気なくお客さんに混じって来たりします。
私などは今の状況を考えると、一概に非難はできないと思っています。

何れにせよ、このような場面が銀座あたりのオープニングの一例です。ただ、これは恵まれている個展のオープニングでして、私の若い友人達は、やりたくても出来ないのが現状です。

この日は、私は平均年齢六十数歳の作家さんたちに二次会、三次会と連れ回され、”君の慰安だ。”といわれながら、すべて幹事をやらされ、送り届ける役目を頂いたことを最後に付け加えておきます。

次回は、美術以外の話題、例えば芝居の事でも書かせていただこうと思いますが・・・・。

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2006年2月 6日 (月)

フィガロの結婚

皆さん、こんばんわ。今日は前回のテーマの”その2”を書くはずだったんですが、少しは時流に乗ったことも書こうかと思いまして。またまた脱線してすみません。

最近は、先日が生誕250年ということもあり、モーツァルトの話題が何かと出てきます。
私も少しは吹奏楽を齧ったので(すぐにジャズに奔ったのですが。)この人の音楽は好きです。クラッシック好きの人達の造詣の深いことといったら、その知識に感心してしまいます。
私も何度かはオーケストラも聴きました。N響も、ヨーロッパでも、NYではリンカーンセンターの傍に棲んでいたこともありますのでメトロポリタンのオケは安いリハーサルチケットで聞きにいっていました。
その、芸術性は素人の私でも感動を覚えたものです。ただ、それも随分ご無沙汰でして、家でCDすら聞かないこの頃です。
ただ、モーツァルトは音楽もそうですが、映画の”アマディウス”が忘れられず、その破天荒な人生に魅力を感じてしまいます。

たまたま、チケットがあったので昨日、オペラの”フィガロの結婚”を小学生の娘と二人で見に行きました。彼女に内容が理解できたかどうかはわかりませんが、ある種の琴線には触れたようでした。
実は”フィガロの結婚”を見るのは4度目でしょうか。今までに見たものと比較することも無意味なことでした。巨額の資金でつくられているものではありませんし、観劇代もゼロが1つ違っていました。ただ、声楽家の素晴らしさと頑張りは充分伝わってきました。
声楽家の歌声を聴くと本当に感動します。
”人間の声というのは、こんなにも素晴らしいものなんだ。声が楽器に昇華している。”
それを心底感じることが出来るのです。

楽しい感動です。そして感じるのはモーツァルトの音楽はどれも素晴らしく芝居を盛り上げるのです。”フィガロ・・。”は最もポピュラーな喜劇のオペラです。オペラなどというと二の足を踏む男の人も多いと思いますが、ここに縁あってお話できている皆さんには一度観て頂きたいと思います。

モーツァルトの音楽の素晴らしさと、オペラとオーケストラに、そして何よりも”人間の極限まで鍛えられた声”に感動することをお約束します。
私のような知識の無いものでもそうなんですから。

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2006年2月 2日 (木)

美術家の集う所 その1

現在の美術家をめぐる状況を私が知る限りの事を少しばかりお話します。
彼らがその作品を発表したり、売買を委託あるいは買い上げてもらう”画廊”というものの存在があります。
バブルが破綻してからの美術を取り巻く状況をご存知の方も多いと思いますが、銀座を中心に多くの店が閉鎖、倒産し、古くからの有名な店くらいしか売買画廊は残っていないといわれています。それすらも大変な苦戦をしいられているのです。
残っている画廊というのは殆んどが貸し画廊といわれるものですが、それすらもある地域では全滅して店がラーメン屋さんになったと聞きます。都内の一等地ですが、俄かに信じられず見に行きました。全てが作り変えられたということはありませんが、確かに様変わりしており、貸し画廊も展示物がなく開店休業のような店舗もありました。特に銀座ですが、個展のオープニングパーティに顔を出しますと、見知らぬ人から名刺を頂くことが多く、見ると貸し画廊のオーナーで在ったりします。本来、その画廊からあまり歓迎される存在ではないのですが、なりふり構わぬ営業活動も仕方ないともいえます。
貸し画廊も銀座の一部を除きなかなか埋まらないようです。展覧会などは1週間単位ですが、銀座などはやはり高くて若手の作家にはとても手が出ません。
若い人は、少し街中から離れた所で、しかも個展をする費用は負担が大きいためグループ展が多く、それも2,3年に一度という状態です。なかには恵まれた人もいるのかもしれませんが。
創作意欲がありながら、その発表方法に苦労しているのです。

若手の展覧会に顔を出すことも多いのですが、客層も若く、それなりに楽しい初日だったりします。オープニングは持ち寄ったビールやワインぐらいしかありませんが、飲み物がでるだけましなパーティともいえます。それすらしないものも多いですし(勿論、目的はパーティをする事ではなく、また少しでも出資を抑えるためには、不要なものともいえます。)、なかには、会費を集め飲み物とコンサートを提供するオープニングもあります。知人の演奏家に場所を提供しお互いに助け合うという一面もあるのでしょうが。

私はお金を取ってコンサ-トをするのは考えものだと思う人ではあるのですが。下手でも、作家自身や関係者が手作りのパフォーマンスをお客さんにみせて、楽しんでもらうべきだと思います。
なかなか、日本ではまだここまではいっていませんが、作家にサービスマンとしての意識が薄いか、もしくは作品が作家の主張そのものであるため、そんな事は必要ないと思っているのか。型どうりの手順で終わるのが殆んどでしょう。
お金を掛けずにできることは、いろいろあるのですが。ただ、彼らにそんな要求をするのも酷な状況であることも事実です。

私が今後、この関係の仕事を続け、発展することができたら、作家の作品をより多くの人に知らせることはもちろん、個展なども作家と共に楽しみたいと思います。前途は多難ですけど。

次回は、私が最近関わった、おそらく極普通の個展のオープニングの様子などをレポートいたします。

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2006年1月29日 (日)

東京の休日(ローマの休日のようにはいきません。)

今日は私の休日でした。事務所は土曜日は休みなのですが、中小零細にとっては休みは死を意味するようなもの。何かしら用事があるというか、なるべく自宅にいたくないというか、兎に角、山奥の棲家から片道2時間かけて渋谷の事務所に出てきます。

出掛けに、厭味の一つも言われるかと思いましたが、実はこう見えても普段は涙ぐましい努力はしていますので(中身についてはひかえさせて頂きます。)明るく?送り出していただきました。

午後から事務所に出て、先ず銀座の画廊に知人の画家が個展を開いていたので顔を出しました。私にはよく解らない抽象ですが、休日だからか、あるいは作家の人脈からか、お客さんはそこそこ入っていました。
その後、これも半分義理で、飯田橋の画廊でやっている若手の版画家の3人展に顔を出しました。これまた抽象です。作家が好きでやっているのだから私が文句を言う筋ではないけれど、価格を付けているのなら売ることも考えたらといいたくなる。
技術は素晴らしと思うけど、このてのものは溢れているし、素人の意見を言わせてもらえばあなたのアイディンティティーは、個性はどこにあるのですかと聞きたくなる。
”金のために魂は売らない”というくらいに売ることを度外視しているものであれば却って魅力的ではありますが。

その後、5時から赤坂見附のプリンスホテルでのシンワ・アートオークションに予約していたので顔を出しました。私などは殆んど冷やかしですが、数千万円から数億まで動くオークションです。流石にジーパンではいけない雰囲気ですし、年齢的にみて私などは若造の部類です。このオークションの雰囲気については私の過去のブログの記事に書いたものがありますので興味のある方は読んでみてください。
参加してみたい方は一度私の事務所にメールをいただけたらと思います。一度経験してみるのも面白いと思いますが、ひとつだけ問題があります。
私などは、いつもそうなのですが一週間くらい働くのが莫迦らしいなるくらい自己嫌悪になります。それを経験したい方はぜひどうぞ。

赤プリのそれも2時間で終わり、その後長い時間を浪費するべく我が棲家へ帰ってまいりました。休みなのか、仕事なのかわからない一日でした。
そういえば、今回は、最近の銀座での画廊のオープニングを描く予定でしたのに、自分の休日の一日になってしまいました。すみませんでした。
次回は、しっかり描きます。・・・・・描けるといいなあー。

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2006年1月24日 (火)

ソーホーの座標軸

前回イーストビィレッジのコンテンポラリーアートの作家達のことを描きましたが、今日は私の関係する企画画廊の平素のオープニングパーティを描いてみようと思います。刺激的なものを期待される方には事前にお許しいただきたいと思います。

その画廊はワシントンスクエアーから南に1ブロック下った、大通りに面した雑居ビルの3階にあった。夕方になり招いた客が次々とやってきた。
今日の作家の作品であるアクリル樹脂を吹き付けた立体を壁づたいの四方に配し、フローリングの床の上で小さなパーティが始まった。
今日のパフォーマンスはトライアングル奏者という趣向であった。
彼の奏でる音が周囲の作品と重なり共鳴をはじめる。単調な繰り返しかと思えば、時には激しく打ち続ける。彼の額に汗が溢れ、その高い鼻梁をつたって雫となって流れている。
その雫がライトに照らされ輝きを放っているのが見える。
彼の指は、ある種のエロチシズムを感じさせる。この部屋の中の密度を高めてゆく。
私たちが緊張から解放されるのは、彼がその手の動きを止めるまで待たなくてはいけなかった。

灯りがつくと人々は堰を切ったように快活に話し始めた。
今夜の客は3,40人というところだろうか。ワインとビールに軽食を用意した簡単なものである。それを口にしながら品のいい会話を楽しんでいる。
ほとんどが白人であり、ラテン、アングロサクソン、ユダヤなどで占められる。皆、質の良い服装を纏ったおしゃれな人達である。
知的な雰囲気を漂わせ私と目が合うと愛想の良い笑顔で応えてくれる。男女とも教育水準の高い人達であり、この街の両極の一方に位置する人達に近い。
彼らは作家と作品に賛辞の言葉を惜しまない。本心は別にして。

外の寒さも、緊張感もこの場所には存在しない。居心地の良い空気に満ちている。

私は最後の客を送り出すと、やたらに頑丈なドアを閉め外にでた。街の喧騒は、はじまったばかりであった。                                            (11月4日、PM11時 ソーホーの画廊にて)

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2006年1月20日 (金)

ニューヨークのエンジェル達の つづき。

(前文より続く)

日が随分と短くなった夕方、ワシントンスクエアーでクリストフと待ちあわせをしていた。遠目から私を見つけると彼は小走りでやってきた。彼は私の知っている彫刻家の中では珍しいくらい真面目で親切な男であった。約束の時間を守る数少ない友人であったが、それは彼がポーランド系ユダヤ人であることと無関係ではないのかもしれない。
今日、彼にイーストヴィレッジの画廊のオープニングパーティに誘われていたのだ。彼の作品も含めた仲間の現代彫刻?の展覧会であった。

画廊とは名ばかりの朽ち果てた倉庫の中に入っていった。壊れかけた鉄のドアを押して入っていくと、そこには異様な空気が流れていた。
先ず、彼らの身なりに圧倒された。市販されたものではない、独特の色彩とデザインである。決して綺麗といえるものではないが。
それまで、私の知っている画廊のオープニングは富裕層やヤッピーといわれるヤングエリートがお客の事が多かったのである。故に、身なりも仕立てのいいものを纏っていた。多くはウォール街あたりのビジネスマンであった。

パーティーなどといっても乾杯があるわけでもなく、いつ始まったかもわからず、またいつ終わるとも定かではなさそうだった。勝ってきままにビール片手に話している人の中の僅かばかりの空間で、誰にも注目されないパフォーマンスをしているものがいる。怪しげな占いのようである。
ここでは飲み物も食べ物もでない、自分で持参するしかない。酒かドラッグか、酔った大柄の男が騒ぎ出し、展示されている作品を壊している。誰も止めない。それもありなのだ。
大声で言い合いのすえ、摑み合いを始めるもの。その横で静かに作品を眺めている人。
私の頭の上をビール瓶が飛んでゆく。何本も。ビンの割れる音が心地よい。

滅茶苦茶のパーティー。でもこんなおもしろいものは、なかなかお目にかかれない。
あまりの騒々しさに外にパトカーが来た。近所の誰かが呼んだに違いない。私は”少しやばいかな”と思ったが、警官も中には入ってはこない。冷静な関係者が玄関で対応している。
いざとなれば、裏口もある。

ここにいる彼らの行動はあまりにも無秩序である。そして、この部屋の中といったら、もしここに保健所がきたら全てが消毒液の中に沈められるのではないかと思うくらい汚い。
しかし、このエネルギーはなんだ。この中から、新しいものが生まれてくるのだろうか。
私は飛び散るペンキから逃げ、倒れてくる作品の鋼材から身をよけながら、この宇宙に酔っていた。それともビールを飲みすぎたのだろうか。

一瞬、ここで死んでもいいかなと思った。どうせ東京を逃げ出してきた身だ。このまま何処までも逃げ続けたかった。まどろみと覚醒が交互にやってきた。
サイレンの音が遠くで聞こえる。誰かがまた、火をつけたのかもしれない。

(11月26日、AM3時、イーストヴィレッジにて。)

この文章を書き写した後、これを読んで皆さんがこのアパートを出て行ってしまわないかと心配にもなりましたが。どうぞ、留まって下さいね。

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2006年1月19日 (木)

ニューヨークのエンジェル達

私がこの街で付き合っていた芸術家、とりわけ美術関係の人々はそれぞれが、えたいが知れない、それだけに危険な魅力に溢れていました。この頃のニューヨークはキュピズムもリアリズムも何でもありでしたし、現代アートも華やかな輝きを放っていました。
五番街の画廊で脚光を浴びる作家、我々のようなソーホーに展開する企画画廊が取り扱う作家、そしてどちらにも関係なく自由気儘な創作活動をする作家、いろんな人が蠢いている町がニューヨークでした。
その生態は、当時または現在の私の知る日本の美術家たちとは別世界のようでした。事実、日本からやって来る画家や彫刻家を彼らに引き合わせますと、日本の知人の多くは人が変わったようにポジティブな動きをしていました。

時々このブログにも書いていますが、芸術家の多くが住んでいたソーホーも(もともと、ここは倉庫が多かったので芸術家が家賃の安さもあって入り込んで所です。)土地の高騰と共にこの場所を追われイーストリバーの近くやインド人の多いイーストヴィレッジに移り始めていました。
私も、またアッパーウエストという治安のよい街から、この廃墟だらけの街に移り住んだ経緯はお話した通りです。ただ、私にはこの町もここの住人達も刺激的な魅力あるものでした。

この場所に棲む作家達のことを少しばかり、私のメモより転記してみます。
私の雑文をお楽しみ下さい。ただし、楽しくなくても責任はもちません。・・・・つづく

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2006年1月16日 (月)

雨の日の美術舘

(前文よりつづく)

絵の描写を言葉にすると、このようになる。
白人と東洋人が美術品を品定めしている絵。そこには白人と東洋人の上下関係がはっきりあらわれ、、白人の背中にいやらしさがこみあげるように描かれている。
水かスープをガツガツと飲む老いた黒人、肉を解体する男、聖書を脇に抱え妙に醒めた顔でキリスト像を眺める老女など、彼らの生活を描いたものが多い。
また、思想的な表現の絵は、星条旗に向かって拳を突き上げる黒人の男。白人の兵隊に馬乗りになった老女、彼女の手元には小さな星条旗がはためいている。
ふんぞりかえる白人の顔の絵は外面はきれいだが、反面醜く腹黒いものとして描かれている。

あまりにも強烈なメッセージが伝わってくる。これらの絵には共通して感じるものがある。
彼らの悲しみ、苦しみ、嘆きである。そして怒りである。
私にも彼らの絵は、はっきりと語りかけてくる。絵そのものの出来など問題にならない。
生命力に溢れ、自己表現が明確に伝わってくる。

私は絵からこれ程の衝撃を受けたことはなかった。この空間は私の体を心底震えさせてしまう畏れの場所である。権威、差別なるものに屈しない意志を感じる。

ここにある絵は決してMOMAやメトロに掛かることはないだろう。商品として支持される事も無いだろう。しかし、、綺麗なだけが絵ではない、絵は時として凶器にもなるかもしれない。
この美術舘は、まちがいなく私に新しい発見をもたらしてくれた。
さあ、これからハーレムに繰り出そう。この街は私を受け入れてくれるだろうか。
(11月13日、ハーレム、スタジオ・ミュージアムにて)

なるべく当時の文章に忠実に転記しました。自分で読み返して、私のブログにコメントくださる皆さんにお勧めできる場所ではないと思いましたが、かの地も現在は治安が昔と比べると格段によくなっているらしいですね。
逆にいうと私がもし今、ここを訪れると全く違う感想を抱くかもしれません。緊張感の中で味わうことは二度とないでしょうから。
次回は、この街のアーティストたちのことを書いてみたいとおもいます。

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2006年1月15日 (日)

雨の日の美術舘

前回、MOMAなどの事を書きましたが今回は少し雰囲気の違う美術館のお話です。これを書くのに私は二十年前に附けていた雑記帳を探し出しました。
今、読みますと可也、気恥ずかしい思いになりますが、ほとんどそのまま転記させていただく事をお許し下さい。
また、現在の状況との違いもあるかもしれません。その時は、ご存知の方はぜひ教えて頂きたいとおもいます。

日曜日だというのに、この美術舘の客は私、ただ一人である。MOMAやメトロポリタンとそんなに離れているわけではない。別世界のような静けさである。
私の靴音だけがこの静けさを引き裂いていく。外は大雨であった。
これでは誰も寄り付かないかもしれない。ハーレムのスタジオ・ミュージアムでの私の時間だ。しかし、人影がないのは雨ばかりのせいではなく、そこにある作品によるところもあるらしいと、後になり気づかされることになる。

今日、ここに着いた時には表の鍵はしまっていた。中に灯りが点いているところを見ると昼食の時間は鍵をしめるのだろうかとおもったが、ドアのところにカードが掛かっていた。
土曜、日曜はPM1時から6時までと書いてあるではないか。なんとのんびりしている事よ。
開館まで15分、どこへ行くあても無いのでその場で待つことにした。
傘では防ぎきれないだけの雨が吹き付けてくる。僅かの時間なのに随分と永い間、そこに立っていたような気がした。
開けてもらって、ようやく入った時にはスニーカーの中に水が浮かんでいた。

そこは小さな簡素な美術舘だった。
しかし、ここにある絵に囲まれ、椅子に座っている間に何と私は多くの声をきいたことであろう。黒人の画家によって描かれた作品は、私が今まで聞いたことも無い程の能弁な語りを聞かせてくれた。
作品の中には女性画家のキャンパスから湧きあがる色彩を感じたものや、額の中から木の枝が這い出してくるようなイメージの豊かさを感じさせた。
しかし、私の眼を捉えて離さないものは他にあった。

ここまで書いて、自分の過去の文章に忠実に従ったつもりですが、今一度整理が必要なようです。次回この続きを書かせていただきます。お待ち下さい。

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2006年1月12日 (木)

ニューヨークの美術舘遊び

前回の文で急に絵に夢中になった経過を書きましたが、それからの私の美術舘めぐりは、ほとんど病気。ともいえるものでした。ただ、芸術に目覚めるというよりは遊びを一つ見つけたような物でした。
私の性格上、自分が納得するまで終わりがなく、着地点は予想もつきませんでした。

外国で美術舘に入る時は、観光の一部のような気持ちがどうしても拭えませんが、自分が棲んでいる町で、しかも歩いていける距離にあるとなると、美術館といえども特別な場所ではなくなります。
私にとって、MOMAやメトロポリタン美術舘、五番街の画廊などはセブンイレブンかローソンにいくようなものです。
私にとっていかに身近な場所であったかといいますと、市立美術館とメトロポリタンの入場回数はそれぞれ50回以上だと思います。もっと多いかもしれません。しかも、そのほとんどは入場料は払っていません。この理由を知っている人は多いと思いますが、欧州が絵画に限らず芸術に国家の予算を多く割くことによって客が入りやすくしているのに対して、USAは税法のバックアップもあり民間の寄付で維持、運営されています。

MOMAも最初3回くらい払ったのですが、もう充分貢献しただろうと思いそれからは、木曜日の夕方5時からしかいかなくなりました。なぜなら、その日、その時間は原則、入場料は制限はありません。当然、私のような人が多いのですが、この国の美術に対する捉え方が窺い知る事が出来ます。(半月ばかり前、NYに永く棲んでいる友人が一時帰国しまして聞いたところMOMAの建て替えがようやく終わったことを聞きました。)

メトロポリタンもご存知の方もおられると思いますが入場料は原則決まっていても必ずしも払う必要はありません。”私は学生です。”といえば入り口はフリーです。(NYは国中から画学生が集まってくるようで、模写している若者がほんとに多い。)お金を要求されることはありません。
最近、一時帰国のその友人に聞いた話ですがその友人の叔父さんは50代ですが、いつも払わないではいるそうです。まさか”私は学生だ”とは言わないでしょうが、何といってはいるのでしょう。聞きそびれてしまいましたが、おそらく”私は絵が好きで勉強したいがお金は無い”ぐらいのことをいえば大丈夫なんでしょう。
つまり、美術だけでなく芸術全般に関しての考え方が我々とはかなり違っています。残念ですが。
ただ、私のメトロポリタンの入り方は少し違っていました。学生という必殺のうそを吐くこともあったのですが、私は6,7回はお金は払いました。現在の事はわからないのですが当時、お金を払うと小さなバッジをくれました。それを胸に着けていると出入りが自由の証なのです。美術舘があまりにも大きいので時間無制限でということです。
私はこのバッジに目をつけまして、というのは、このバッジは曜日ごとに色が違うのです。
私はすべての色を揃えました。それをつけて、午後から堂々と入っていくのです。

でも、私はアンポンタンなものですから、ときどきバッジの色をまちがえるのです。曜日が違えば無効なんですから。でもそんな時は背筋を伸ばして”僕は学生です。”

次回はこの街であまり皆さんがいかなかったであろう、私の思いで深い美術舘のお話をさせて頂きます。

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2006年1月 8日 (日)

美術舘というドラマ。

日本にもたくさんの美術舘がありますが、皆さんそれぞれ拘りと思い出がある大好きな美術舘を心の中にお持ちだと思います。
私は日本でも知らない所がたくさんありますが、自分なりに好きなものがあります。人それぞれ絵画、陶器、版画、工芸など好みも違うのでどこが一番かなど論ずることもできません。まして美術館の大きさや収集品の有無できまるものでもありません。
ただ、私などが好きな美術舘の定義はその美術館の環境、建物の外観などに大きく左右されるといっても過言ではありません。
もし、美術品にたいする素晴らしい審美眼を持っていたら作品そのものが、好きな美術舘を決める大きなファクターになると思いますが、私にはそれがありませんので。

実は私は昔の話ですが、美術というものに興味がありませんでした。というより大嫌いなものでした。なぜかというと話を少し遡らなくてはなりませんが京都の学生時代に演劇、映画なるものにのめり込んでいました。東京に上京後も新劇の劇団の研究生として朝までスタニスラフスキーやブレヒトを論じ、肉体訓練で体を極限まで鍛える毎日でした。
余談ですが、私が上京したときの体重は85Kgでしたが一ヵ月後には62Kgまで減っていました。毎日3食、腹いっぱい食べてです。そうしないと訓練はもちませんので。因みに私の現在は身長178Cm、体重は・・・。元に戻りつつあります。

私の興味は動的なものに限られ、美術とは何とつまらない、ドラマの無い感激の無いものであるかというおもいだったのです。劇団の高学歴の友人達(学歴の話は無意味ですが、一言世間の皆さんに言わせて頂ければ、一応高倍率の研究生試験をくぐりぬけてきた同期たちはT大でシェクスピアを専攻していたとかの秀才ばかり、そんな人間が皿洗いのバイトなどをしながら芝居を続けていました。酒を飲むと、親に対する懺悔も少しだけ・・・。)
の中には美術の重要性を説くものもいましたが。

私が絵画の中にストーリー性やドラマを見出すのは芝居をやめ日本を脱出するまで待たなければいけませんでした。20代も後半に差し掛かっていました。
NYに逃げ出した私は、このブログの中にも書いていますが、夕方からのブロードウェーや深夜のグリニィッジに出かけるまでの日中の時間つぶしに美術舘めぐりを始めたのです。

私がMOMAに入ったときです。一枚の絵に釘ずけになってしまいました。どこがいいかなど理由など存在しません。ただ其の絵に圧倒されたのです。号数の大きさもありましたが、なによりその色彩、無駄のない力感が知識の無い私にも感動を与えてくれたのです。
其の絵は、マチスのダンスでした。マチスと言う名もそこで初めて知るくらいの美術音痴の私でした。
しかし、その後、もう一枚の”ダンス”をみるためにレニングラード(今のサンクトペテルブルグ?)のエルミタージュにいってしまうくらいですから私ののめり込みは異常とも言えるものでしたが。

長文になりすぎました。私の事ばかりを書いてすみません。次回はNYの美術舘について書きたいと思います。

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