2006年3月25日 (土)

広重そして江戸東京博物館

ギャンブルのことばかり書いていて少し食傷気味ですので話題を変える事にします。
今日は土曜日ですが、誰も居ないことを幸いに事務所に出てきましてPCの前でブログを書き始めています。
昨日の私の一日でも綴ってみます。

珍しく早朝から事務所に出まして、事務仕事を処理しました。というのも今日は時間を創って何とか両国にいこうと決めたからです。私はいつもそうなんですが直前にならないとなかなか行動しない人でして、広重の展覧会の期日が終わりそうだったのです。
両国あたりは仕事で行くこともないものですからなおさら後回しになってしまいます。
午後からやっと江戸東京博物館へ出向いたのでした。
私は初めてだったのですが、外からはその目立つ大きな箱はよく見ていました。正直に言うと”税金の無駄ずかいの箱物をまた役人が創ったんだろう。”としか観ていませんでした。

入ってみると確かにお金を掛けた建造物です。しかし、私は広重よりも博物館の方にむしろ興味を抱き感じるものがあったのです。

広重は江戸東京の文化、歴史、生活の展示物の一角に展示されていただけでした。浮世絵は東海道・・ではなく江戸百景です。作品はその一部で秋、冬のもの30枚くらいです。好きな人には少なすぎる数ですが、私には却ってこのくらいのほうが良く観れて。
私は展覧会のあの膨大な展示物にはいつも閉口しまして、何をみたか判らなくなりますので、事前にプログラムが手に入る時は観るものを限定していくことが多いのです。
中にはこの一点だけが見たいなんて事もある、随分もったいない客でもあります。
広重の版画は北斎とは対照的なもの。北斎の大胆な構図と緻密なデッサンは私をとりこにします。それに比して広重の絵は丁寧に描かれ、なんともいえぬ”癒し”が存在します。どちらも素晴らしいです。
しばらく至福のときを過ごしました。

しかし、それ以上に思い出深いものをこの博物館で感じました。日本の文化というと如何しても京都を思い出しますが、江戸という文化が存在したことを確認しました。
そこには町人文化というエネルギーに溢れたものがあったことをすっかり忘れておりました。展示物も単純な羅列ではなくよく考えられた見せる工夫がしてあります。
江戸、明治、大正、昭和それぞれの時代と生活が理解できるのですが、私にとって衝撃的だったのは昭和は私にとっては身近なものだったのですが、もはや博物館で見聞するものになっていたことです。
確かに、私の子供達が知らない昭和がそこにはたくさんありました。
私と同じように”ショック”を感じたい方はぜひ行ってみてください。意外に楽しめる空間です。外人が多かったのですが、我々こそもっと行くべきかもしれません。

その後は、銀座のシンワの本社によりました。明日のオークションの下見会のためです。もちろん私が明日、数千万、数億のものを落とす予定などあるはずも無いのですが勉強と冷やかしのようなものです。

その後は、都内のある場所で20時から、仕事の打ち合わせに顔を出しました。

これが、私の一日です。元気に遊び、元気に仕事をした、極、稀な?一日でした。
また、私の”ある一日”と題して書かせていただきます。次回はギャンブル道に戻る予定ですが、その前に季節感のある話題を書くことになるやもしれません。

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2006年2月 9日 (木)

美術家の集う所 その2

今回はその2ということで書かせていただきます。最近、銀座の比較的有名な貸し画廊で、
ある地方在住の油絵の作家さんの企画展を手伝いました。

私のお世話になっている画家さんのお弟子さんですが、頼まれたこともあり、また以前より存じ上げていたので、お手伝いすることにしました。
お弟子さんといっても、私などより大先輩の年齢の方であり、地元の画家さんの協会の重鎮です。
この方は、地方の方に珍しく、銀座で定期的に個展を開いておられる恵まれた方というか、お金を掛けることができる方です。それでも、今回は今までよりは可也お金の掛かったものになりました。

皆さんは個展を開く費用がいくらくらい掛かるご興味あるかもしれません。中には、デパートや画廊の丸抱えというものもありますが、稀な恵まれたものですし、その場合は主催者のシェアーも当然大きくなります。費用はもちろんピンからキリまでですが、画廊代、展示絵画の配送に掛かる宅配代、パンフレットなどの印刷代、オープニングのデリバリー代そして、美術評論家の先生の原稿代、プレスリリースなどの経費等‥。
この時の総予算は新車一台分ぐらいとお伝えしておきます。
作家にとっては大変な負担でありますし、こんなにお金を懸けれる人はホンの一部の人だと思います。私の知っている狭い範囲ではありますが。

この時の私の役目は、画廊との連絡役、プレスリリースの手配、オープニングのパーティの企画そして司会などです。しかし、殆んどは力仕事要員です。初日前日の取り付けを作家と二人ですることや、当日のパーティ準備などの土方仕事など、周りの方のお年を考えると私はこれでも若手ですので何でもやるわけです。

当日のパーティは平日の夕方でしたので、招待のお客さんの入りが心配でした。画家さんが地方の方ですので田舎から来る人は限られます。そこで、大御所の方々にお願いして関係者の方に声をかけて頂いたお蔭で4,50人の方に来ていただいたのです。
ただ、経験上、年齢層が可也高くなることはわかっていましたので、すこし仕掛けをしました。私の友人達は兎に角忙しい年代ですが、無理を言ってきてもらったのが会計事務所の若い人達、銀行員の友人の部下など。

ただ、これは素晴らしい効果があります。先生達は若い人たちと話が弾み、場は明るくなります。そして、何より無理に来てくれた本人達が、普段なかなか経験できないことに接して大変満足して帰ってくれることです。

この日は、パフォーマンスに予定していたバイオリンが急遽だめになることはありましたが、名の知れた評論家をゲストに呼べたり、作家の友人のスポーツ界の偉い人がきて盛り上げてくれたり、いろんな人の協力で主催者の作家はご満悦ではありました。

パーティでどんなことがあるかというと、招待しない人が飲み食いしているときがあります。いろんな人がいるものです。バブルの頃の比べると、そのような人も減ったと思いますが、このような人は大した問題ではありません。
置き引きやご祝儀泥棒には気をつけなければなりませんが、そんな人すら少なくなったかもしれません、。
むしろ、画廊が嫌がるのは、前回も言ったことですが、他の貸し画廊のオーナーなどが入って作家達に暗に営業を懸ける事です。また、美術雑誌関係の名簿のセールスの人が何気なくお客さんに混じって来たりします。
私などは今の状況を考えると、一概に非難はできないと思っています。

何れにせよ、このような場面が銀座あたりのオープニングの一例です。ただ、これは恵まれている個展のオープニングでして、私の若い友人達は、やりたくても出来ないのが現状です。

この日は、私は平均年齢六十数歳の作家さんたちに二次会、三次会と連れ回され、”君の慰安だ。”といわれながら、すべて幹事をやらされ、送り届ける役目を頂いたことを最後に付け加えておきます。

次回は、美術以外の話題、例えば芝居の事でも書かせていただこうと思いますが・・・・。

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2006年2月 2日 (木)

美術家の集う所 その1

現在の美術家をめぐる状況を私が知る限りの事を少しばかりお話します。
彼らがその作品を発表したり、売買を委託あるいは買い上げてもらう”画廊”というものの存在があります。
バブルが破綻してからの美術を取り巻く状況をご存知の方も多いと思いますが、銀座を中心に多くの店が閉鎖、倒産し、古くからの有名な店くらいしか売買画廊は残っていないといわれています。それすらも大変な苦戦をしいられているのです。
残っている画廊というのは殆んどが貸し画廊といわれるものですが、それすらもある地域では全滅して店がラーメン屋さんになったと聞きます。都内の一等地ですが、俄かに信じられず見に行きました。全てが作り変えられたということはありませんが、確かに様変わりしており、貸し画廊も展示物がなく開店休業のような店舗もありました。特に銀座ですが、個展のオープニングパーティに顔を出しますと、見知らぬ人から名刺を頂くことが多く、見ると貸し画廊のオーナーで在ったりします。本来、その画廊からあまり歓迎される存在ではないのですが、なりふり構わぬ営業活動も仕方ないともいえます。
貸し画廊も銀座の一部を除きなかなか埋まらないようです。展覧会などは1週間単位ですが、銀座などはやはり高くて若手の作家にはとても手が出ません。
若い人は、少し街中から離れた所で、しかも個展をする費用は負担が大きいためグループ展が多く、それも2,3年に一度という状態です。なかには恵まれた人もいるのかもしれませんが。
創作意欲がありながら、その発表方法に苦労しているのです。

若手の展覧会に顔を出すことも多いのですが、客層も若く、それなりに楽しい初日だったりします。オープニングは持ち寄ったビールやワインぐらいしかありませんが、飲み物がでるだけましなパーティともいえます。それすらしないものも多いですし(勿論、目的はパーティをする事ではなく、また少しでも出資を抑えるためには、不要なものともいえます。)、なかには、会費を集め飲み物とコンサートを提供するオープニングもあります。知人の演奏家に場所を提供しお互いに助け合うという一面もあるのでしょうが。

私はお金を取ってコンサ-トをするのは考えものだと思う人ではあるのですが。下手でも、作家自身や関係者が手作りのパフォーマンスをお客さんにみせて、楽しんでもらうべきだと思います。
なかなか、日本ではまだここまではいっていませんが、作家にサービスマンとしての意識が薄いか、もしくは作品が作家の主張そのものであるため、そんな事は必要ないと思っているのか。型どうりの手順で終わるのが殆んどでしょう。
お金を掛けずにできることは、いろいろあるのですが。ただ、彼らにそんな要求をするのも酷な状況であることも事実です。

私が今後、この関係の仕事を続け、発展することができたら、作家の作品をより多くの人に知らせることはもちろん、個展なども作家と共に楽しみたいと思います。前途は多難ですけど。

次回は、私が最近関わった、おそらく極普通の個展のオープニングの様子などをレポートいたします。

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2006年1月29日 (日)

東京の休日(ローマの休日のようにはいきません。)

今日は私の休日でした。事務所は土曜日は休みなのですが、中小零細にとっては休みは死を意味するようなもの。何かしら用事があるというか、なるべく自宅にいたくないというか、兎に角、山奥の棲家から片道2時間かけて渋谷の事務所に出てきます。

出掛けに、厭味の一つも言われるかと思いましたが、実はこう見えても普段は涙ぐましい努力はしていますので(中身についてはひかえさせて頂きます。)明るく?送り出していただきました。

午後から事務所に出て、先ず銀座の画廊に知人の画家が個展を開いていたので顔を出しました。私にはよく解らない抽象ですが、休日だからか、あるいは作家の人脈からか、お客さんはそこそこ入っていました。
その後、これも半分義理で、飯田橋の画廊でやっている若手の版画家の3人展に顔を出しました。これまた抽象です。作家が好きでやっているのだから私が文句を言う筋ではないけれど、価格を付けているのなら売ることも考えたらといいたくなる。
技術は素晴らしと思うけど、このてのものは溢れているし、素人の意見を言わせてもらえばあなたのアイディンティティーは、個性はどこにあるのですかと聞きたくなる。
”金のために魂は売らない”というくらいに売ることを度外視しているものであれば却って魅力的ではありますが。

その後、5時から赤坂見附のプリンスホテルでのシンワ・アートオークションに予約していたので顔を出しました。私などは殆んど冷やかしですが、数千万円から数億まで動くオークションです。流石にジーパンではいけない雰囲気ですし、年齢的にみて私などは若造の部類です。このオークションの雰囲気については私の過去のブログの記事に書いたものがありますので興味のある方は読んでみてください。
参加してみたい方は一度私の事務所にメールをいただけたらと思います。一度経験してみるのも面白いと思いますが、ひとつだけ問題があります。
私などは、いつもそうなのですが一週間くらい働くのが莫迦らしいなるくらい自己嫌悪になります。それを経験したい方はぜひどうぞ。

赤プリのそれも2時間で終わり、その後長い時間を浪費するべく我が棲家へ帰ってまいりました。休みなのか、仕事なのかわからない一日でした。
そういえば、今回は、最近の銀座での画廊のオープニングを描く予定でしたのに、自分の休日の一日になってしまいました。すみませんでした。
次回は、しっかり描きます。・・・・・描けるといいなあー。

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2006年1月24日 (火)

ソーホーの座標軸

前回イーストビィレッジのコンテンポラリーアートの作家達のことを描きましたが、今日は私の関係する企画画廊の平素のオープニングパーティを描いてみようと思います。刺激的なものを期待される方には事前にお許しいただきたいと思います。

その画廊はワシントンスクエアーから南に1ブロック下った、大通りに面した雑居ビルの3階にあった。夕方になり招いた客が次々とやってきた。
今日の作家の作品であるアクリル樹脂を吹き付けた立体を壁づたいの四方に配し、フローリングの床の上で小さなパーティが始まった。
今日のパフォーマンスはトライアングル奏者という趣向であった。
彼の奏でる音が周囲の作品と重なり共鳴をはじめる。単調な繰り返しかと思えば、時には激しく打ち続ける。彼の額に汗が溢れ、その高い鼻梁をつたって雫となって流れている。
その雫がライトに照らされ輝きを放っているのが見える。
彼の指は、ある種のエロチシズムを感じさせる。この部屋の中の密度を高めてゆく。
私たちが緊張から解放されるのは、彼がその手の動きを止めるまで待たなくてはいけなかった。

灯りがつくと人々は堰を切ったように快活に話し始めた。
今夜の客は3,40人というところだろうか。ワインとビールに軽食を用意した簡単なものである。それを口にしながら品のいい会話を楽しんでいる。
ほとんどが白人であり、ラテン、アングロサクソン、ユダヤなどで占められる。皆、質の良い服装を纏ったおしゃれな人達である。
知的な雰囲気を漂わせ私と目が合うと愛想の良い笑顔で応えてくれる。男女とも教育水準の高い人達であり、この街の両極の一方に位置する人達に近い。
彼らは作家と作品に賛辞の言葉を惜しまない。本心は別にして。

外の寒さも、緊張感もこの場所には存在しない。居心地の良い空気に満ちている。

私は最後の客を送り出すと、やたらに頑丈なドアを閉め外にでた。街の喧騒は、はじまったばかりであった。                                            (11月4日、PM11時 ソーホーの画廊にて)

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2006年1月16日 (月)

雨の日の美術舘

(前文よりつづく)

絵の描写を言葉にすると、このようになる。
白人と東洋人が美術品を品定めしている絵。そこには白人と東洋人の上下関係がはっきりあらわれ、、白人の背中にいやらしさがこみあげるように描かれている。
水かスープをガツガツと飲む老いた黒人、肉を解体する男、聖書を脇に抱え妙に醒めた顔でキリスト像を眺める老女など、彼らの生活を描いたものが多い。
また、思想的な表現の絵は、星条旗に向かって拳を突き上げる黒人の男。白人の兵隊に馬乗りになった老女、彼女の手元には小さな星条旗がはためいている。
ふんぞりかえる白人の顔の絵は外面はきれいだが、反面醜く腹黒いものとして描かれている。

あまりにも強烈なメッセージが伝わってくる。これらの絵には共通して感じるものがある。
彼らの悲しみ、苦しみ、嘆きである。そして怒りである。
私にも彼らの絵は、はっきりと語りかけてくる。絵そのものの出来など問題にならない。
生命力に溢れ、自己表現が明確に伝わってくる。

私は絵からこれ程の衝撃を受けたことはなかった。この空間は私の体を心底震えさせてしまう畏れの場所である。権威、差別なるものに屈しない意志を感じる。

ここにある絵は決してMOMAやメトロに掛かることはないだろう。商品として支持される事も無いだろう。しかし、、綺麗なだけが絵ではない、絵は時として凶器にもなるかもしれない。
この美術舘は、まちがいなく私に新しい発見をもたらしてくれた。
さあ、これからハーレムに繰り出そう。この街は私を受け入れてくれるだろうか。
(11月13日、ハーレム、スタジオ・ミュージアムにて)

なるべく当時の文章に忠実に転記しました。自分で読み返して、私のブログにコメントくださる皆さんにお勧めできる場所ではないと思いましたが、かの地も現在は治安が昔と比べると格段によくなっているらしいですね。
逆にいうと私がもし今、ここを訪れると全く違う感想を抱くかもしれません。緊張感の中で味わうことは二度とないでしょうから。
次回は、この街のアーティストたちのことを書いてみたいとおもいます。

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2006年1月15日 (日)

雨の日の美術舘

前回、MOMAなどの事を書きましたが今回は少し雰囲気の違う美術館のお話です。これを書くのに私は二十年前に附けていた雑記帳を探し出しました。
今、読みますと可也、気恥ずかしい思いになりますが、ほとんどそのまま転記させていただく事をお許し下さい。
また、現在の状況との違いもあるかもしれません。その時は、ご存知の方はぜひ教えて頂きたいとおもいます。

日曜日だというのに、この美術舘の客は私、ただ一人である。MOMAやメトロポリタンとそんなに離れているわけではない。別世界のような静けさである。
私の靴音だけがこの静けさを引き裂いていく。外は大雨であった。
これでは誰も寄り付かないかもしれない。ハーレムのスタジオ・ミュージアムでの私の時間だ。しかし、人影がないのは雨ばかりのせいではなく、そこにある作品によるところもあるらしいと、後になり気づかされることになる。

今日、ここに着いた時には表の鍵はしまっていた。中に灯りが点いているところを見ると昼食の時間は鍵をしめるのだろうかとおもったが、ドアのところにカードが掛かっていた。
土曜、日曜はPM1時から6時までと書いてあるではないか。なんとのんびりしている事よ。
開館まで15分、どこへ行くあても無いのでその場で待つことにした。
傘では防ぎきれないだけの雨が吹き付けてくる。僅かの時間なのに随分と永い間、そこに立っていたような気がした。
開けてもらって、ようやく入った時にはスニーカーの中に水が浮かんでいた。

そこは小さな簡素な美術舘だった。
しかし、ここにある絵に囲まれ、椅子に座っている間に何と私は多くの声をきいたことであろう。黒人の画家によって描かれた作品は、私が今まで聞いたことも無い程の能弁な語りを聞かせてくれた。
作品の中には女性画家のキャンパスから湧きあがる色彩を感じたものや、額の中から木の枝が這い出してくるようなイメージの豊かさを感じさせた。
しかし、私の眼を捉えて離さないものは他にあった。

ここまで書いて、自分の過去の文章に忠実に従ったつもりですが、今一度整理が必要なようです。次回この続きを書かせていただきます。お待ち下さい。

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2006年1月 2日 (月)

初夢は富士山ではなかった。

あけましておめでとうございます。
皆さんどの様な新年を迎えておられるのでしょうか。
私は只今、箱根山中にて怠惰な年末年始をすごしています。ここ数年、恒例にしていまして、などと書くと優雅に聞こえるかもしれませんが慎ましく過ごしています。
本来ならば故郷に帰らなくてはならないのですが、まして私の故郷は今年は季節はずれの大雪でして、雪降ろしくらいはするのが当然なのです。
ただ、余りの寒さに家族が風邪をひく事が多いため数年前からこのようなかたちになりました。
田舎の両親に申し訳ないなと思いつつ、箱根の白濁した湯に入っていますと親不孝にも田舎の事などすっかり忘れ、また年頭に当たり、この大変厳しい仕事の難局をどう乗り切るか今年のプランニングを起てるということも何処かに行ってしまいます。
どうしようもないこの性格、なるようにしかならないと思ってしまいます。
人生は一寸先は闇、だから怖くて面白い。が私のモットーなのです。これを言うと皆に呆れられてしまうのですが。

私が日本に生まれて良かったと思う瞬間は温泉に入った時ですが、同じ気持ちの人が多いのではないでしょうか。東京から来る時は天気もよくて運転もスムーズでしたが、元旦から崩れ始め道が心配ではあります。家族相手に飲んだくれて呆れられていまして、今日も駅伝の応援に出た以外は怠惰な時間を過ごしています。

明日は東京に戻ります。こんな私ですが今年一年お付き合いの程、宜しくお願いいたします。皆さんの知恵をお借りして、もう少し面白いものにしたいと思っていますが。
いつも思ってはいるのです。ただ実行と能力にやや問題あり、です。
年頭に当たり、もう少し更新を早くすると宣言します。と言い切りたいなー。

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