さすらいのギャンブラー・青春編
私の今までの人生で京都で過ごした学生時代は自分にとっての宝物です。
京都という町が観光客の町としての表の顔を持つとすると、それ以上に学生の町として、これ程の環境を備えた街は何処にもありません。
特に多感な青春時代を過ごすわけですから、その後の人生を大きく左右したと思います。
勿論、その後の結果は人様々で、私のように余り褒められたものでない人もいますが、同期には随分と偉くなった奴もいると風の便りに聞きます。
私のように遊んでばかりいたものは当然の結果なのですが、だからといって後悔しているかというと残念ながら、全くそんなことは無く人それぞれであると殆んど”悟り”に近いものを会得したのです。
当然、遊んでばかりいたわけですが、私には二つの顔がありました。
ひとつは学生として仲間と遊ぶもの、もう一つは撮影所とかバイトとかたくさんしていましたので自分よりずっと年上の大人の世界の付き合いです。
マージャンひとつにしても学生相手の安いレートのものもしますが大人相手の可也高いものまで様々でした。
手前味噌になりますが学生相手では私のマージャンの腕はレベルが違うものでした。
皆さんの中でマージャンをされる方はよく判ると思いますが、所詮運が大きく勝負を左右するので、どんな上手い人でも凄く下手な人にさえ負けてしまいます。将棋や囲碁はプロが素人に負けることは絶対にありません。しかし、マージャンはプロがド素人に平気で負けることがあります。
ただし、それも回数を重ねますと、はっきりとした実力差が出てくるのです。
私は勝負としての物足りなさもあり、夜のまちで大人を相手に打つこと多くなったのです。
ただ意外なことに危機管理能力がありますので”危険な方達”と打つことや、法外なレートは避けていました。
当時の私はいわゆる”学生やくざ”といわれるようなもので、学生に相応しくなく夜の祇園あたりのクラブにも頻繁に出没していました。風体は学生そのものですので却って祇園あたりではチヤホヤされてお金も払わないで飲んでいたのです。いろんな人生を教えて頂きましたが、そこらあたりの話題はまた別の機会に致します。
私の学生生活は、成績優秀なものですから大学の正門前までは行きます。しかし、そこで人数が四人になると、まわれー右。真面目な友人に四人分の”代返”を頼むと中国語の勉強に向かうのでした。
当時、下宿に帰ると朝から晩までマージャン牌を触っている奴がいまして、何をしているのか聞きますと”ツバメ返しの練習をしている”と真顔で答えるのです。
つまりイカサマの練習をしているのです。私の時代は阿佐田哲也の本は必読書(色川武人としての彼の作品ではなく)でしたので、そんなことを真剣にするものまでいたのです。
勉強もしないでこんなことばかりしている莫迦ばかりでしたが、イカサマの練習ばかりしていた彼がどうなったかは知りません。意外に上級職でも受かって官僚にでもなったかもしれません。遊んでばかりいましたが、勉強する時の集中力もまた凄まじいものがありましたので。
私はもちろん遊ぶだけだったわけです。ギャンブルに関しては、その他、競艇のエンジン音に痺れ、競馬は淀(京都競馬場)にクラッシックを見に行く意外は週末は祇園にある場外売り場に入り浸り、競輪開催日には向町競輪まで阪急電車ででかけるのでした。
マージャンに関してはいろんなことがありましたので、マージャンというカテゴリーの中でお話をまたしたいと思います。
私のギャンブル道は、まだ始まったばかりです。
でも、こんな話、皆さんは本当は面白いのだろうか?せめて読み物としてもう少し面白いものに出来たらいいんですが。面白くない方はもう少しだけ我慢してください。
宜しくお願いいたします。
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