« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »

2006年2月27日 (月)

強いものは美しい。

こんばんわ。今日でトリノも終わりましたね。
皆さんも寝不足気味ではありませんか。私はそろそろ嫌な花粉症もやってきたことも重なり体調は・・・・・。
私はこの時期ほとんど使いものにならないのです。もともとが偏頭痛持ちなんですが、花粉症もあり、毎日が酩酊状態。仕事をしない理由には事欠かないのでそれだけはうれしいのですが。
当然、ブログも書くことが考えられませんのでお許し下さい。ということで、トリノを。

私は冬のオリンピックには本来あまり肯定的ではない人です。欧米などの先進国に限られた一部の国だけのものが、オリンピックに相応しいのかと思ってしまいます。
ですが、実際は見るとやはり見入ってしまいます。
荒川女史などは少々食傷気味なくらい何度でも見てしまいます。
以前、陸上の三段跳びの金メダリストの織田幹夫氏が”強いものは美しい”と言いましたが彼女は本当に美しかったです。
素直に、感動を有り難うとテレビにむかっていいました。ガラにもなく。

それから、アルペンのスラロームは素晴らしかった。私は実は大のスキーマニアです。最近は全くのご無沙汰ですが、シーズンには週末は必ずスキー場にいくことを何年も続けていました。寒いのは大嫌いですが、それも苦にならないくらい魅力があります。
それゆえ、応援にも力が入ったのですが、旗門に飛び込んで成功するも失敗するも紙一重ですね。
単純にメダルの数より花形の競技で欧米人と堂々と戦ってくれたのが嬉しかったのです。
私はいろんな職種があっていいと思う人ですし、まして私たちに感動を与えてくれる人は大いに国が援助するべきだと考えていますが異論のある方もおられるでしょうね。

ただ、カタチはいろいろあるでしょうが私もまた人に感動を与えられる表現者で有りたいものだと思わせてくれたトリノではありました。

| | コメント (11) | トラックバック (1)

2006年2月21日 (火)

今夜もトリノ

こんばんわ。なかなか更新しない私のブログに痺れをきらした悪友が事務所に電話を掛けて来ます。コメントは書かないでいつも読んで笑っているクチです。いつも”忙しくて休みも執れない”などといっていますが、本当に仕事しているのでしょうか。
私などからみたらビジネスの最前線にいるエーリート達ですが、どうせ碌な事をしていないと思われます。”世間を欺くことだけはするなよ。”と言ってやりましたが、組織の中では・・・。
電話の後、久しぶりに気分がよくなりました。いつも仕事の事でつまらない問題ばかり抱えています。友人達が羨ましく思えることばかりですが、唯一私には何事にも自分で決断を下せる立場があります。明日どうなるかすら判らない零細企業なんですが。

自分でいうのもなんですが京都で過ごした学生時代から人並み以上にいろんな経験をしてきました。多くの方に迷惑を掛け、世話になりっぱなしでしたが教えられことが一つあります。
それは、正直に生きることです。人に対して、自分に対して。
私は性善説を信じているわけではありませんし、騙そうとおもって近寄ってくる人もいることも知っていますが、愚直でもこれを通せる人が最終的に目的を達することができると信じています。

皆さんにも素晴らしい支えとなる信念があると思いますが、私も恥ずかしながら、表現者であり続けることと、感動することを忘れない気持ちを常に持ち続けたいと思っています。
話が理屈っぽくなってしまいました。すいません。そうだトリノのことを書くはずだった。

話題がそれてしまいましたが、ひとつだけ内輪話を。私の得意分野ですが、今話題のフィギアスケートに関して。
私のビジネスのパートナーであるK氏は名古屋出身ですが、この地が日本のスケートの中心であることは皆さんご存知だと思います。彼のお父さんはこの世界の重鎮だった方らしいのですが家族全員、一流選手になりました。
友人のお兄さんはグルノーブルオリンピックの日本代表ですし、お姉さんは日本のトップ選手であり、現在も甥っ子が国体で優勝しているスケート一家です。
当然、兄弟たちは指導者になっていますが、お姉さんは2,3カ月前、週刊誌を賑わせました。
最近有名なA選手を子供の頃から少し前まで育てた人なんですが、”Aは4回転を飛べていない”などと発言して物議を醸しました。
私が採点競技のことを前回書いたのも偶然ではないのですが、独特の世界であるようです。友人の話をここで書けないのは残念ですが(抗議の電話がきそうですが、掛けて来てもダメです。)すべて、伝聞ですので私の言葉として言えることではありません。

私などは友人の存在もありフィギアースケートなどは本当に応援しています。
何か焦点の定まらない文章を書いてしまいました。次回は何を書こうか、どなたかアイデアを・・・・・・。

| | コメント (17) | トラックバック (0)

2006年2月15日 (水)

トリノオリンピックを見て考えた。

前回予告の記事を書こう(芝居について)としていたら、なかなかキー゙が打てません。京都の学生演劇、撮影所の役者、東京での新劇の劇団員など描ける話題には事欠かないのですが、却って何から書けばいいのか纏らないのです。そこで今回は、流行の話題に乗ることに致します。
皆さんもオリンピック見ていますか。日頃、斜に構える私もこの時ばかりは、俄かナチュラリストになり、真夜中のテレビで一人で一喜一憂しています。
ただ、最近は随分冷静に見ております。日本を応援する事に疲れ、もはや結果などにこだわるまい、素晴らしい物を見れるのであれば外国の選手でも応援しようなどと殆ど開き直りぎみです。
まして、私くらいの達人?になりますと、結果よりも選手の表情を見ているのが楽しいのです。
昨日のカーリングなど感想を」書けといわれれば、戦略を要し心理戦が絡む非常に興味深いゲーム性の高い試合を見た、と。
では、ココロの内を開けといわれると、ロシアと日本の選手が”綺麗だなあー”。

ここで、テレビを見ていて感じた真面目な感想を一つ。
スポーツの定義にも関わってきそうですが、スポーツの結果は一対一の勝敗か若しくは記録という数字に表れる時間ではっきりと順位が決まる。それが公平であり、非情でもあっても誰もを納得させてくれる。
ところが、そうでないものがある。
採点種目である。フリースタイルスキー、ハーフパイプ、フィギィアースケートなどの存在がそれである。これを見ていて他のものと同じオリンピックの種目には思えない。除外せよといっているのではない。私には寧ろ大変興味あるものである。
見せる競技であるからだ。ただ、結果が見ただけで明らかなものと同列に考えられない。
どんなに専門家が採点評価するといっても所詮、主観的なものである。これがスポーツの持つ公平性に対して疑問を抱くのである。
まして、フィギィアースケートなどは採点に芸術点なるものがある。何かおかしくありませんか?そう、芸術には絶対に点数はつかないものだから。芸術はどれ一つとして比較などできるはずもない。その出来や、テクニックに評価が高いものもあっても一つ一つがスコアーにはできない。
また、バレー、舞踊、ミュージカルなどは大変な肉体訓練を必要とするが、一般的にスポーツとは言わない。芸術というカテゴリーに属する。

また、天邪鬼が出たといわれそうだが、テレビをみながら思いました。
でも、きっとテレビを見て応援するんだろうなー。安藤美姫、荒川静香、村主章枝を。できることなら真央ちゃんが見たかったとまだ諦められません。


| | コメント (14) | トラックバック (1)

2006年2月 9日 (木)

美術家の集う所 その2

今回はその2ということで書かせていただきます。最近、銀座の比較的有名な貸し画廊で、
ある地方在住の油絵の作家さんの企画展を手伝いました。

私のお世話になっている画家さんのお弟子さんですが、頼まれたこともあり、また以前より存じ上げていたので、お手伝いすることにしました。
お弟子さんといっても、私などより大先輩の年齢の方であり、地元の画家さんの協会の重鎮です。
この方は、地方の方に珍しく、銀座で定期的に個展を開いておられる恵まれた方というか、お金を掛けることができる方です。それでも、今回は今までよりは可也お金の掛かったものになりました。

皆さんは個展を開く費用がいくらくらい掛かるご興味あるかもしれません。中には、デパートや画廊の丸抱えというものもありますが、稀な恵まれたものですし、その場合は主催者のシェアーも当然大きくなります。費用はもちろんピンからキリまでですが、画廊代、展示絵画の配送に掛かる宅配代、パンフレットなどの印刷代、オープニングのデリバリー代そして、美術評論家の先生の原稿代、プレスリリースなどの経費等‥。
この時の総予算は新車一台分ぐらいとお伝えしておきます。
作家にとっては大変な負担でありますし、こんなにお金を懸けれる人はホンの一部の人だと思います。私の知っている狭い範囲ではありますが。

この時の私の役目は、画廊との連絡役、プレスリリースの手配、オープニングのパーティの企画そして司会などです。しかし、殆んどは力仕事要員です。初日前日の取り付けを作家と二人ですることや、当日のパーティ準備などの土方仕事など、周りの方のお年を考えると私はこれでも若手ですので何でもやるわけです。

当日のパーティは平日の夕方でしたので、招待のお客さんの入りが心配でした。画家さんが地方の方ですので田舎から来る人は限られます。そこで、大御所の方々にお願いして関係者の方に声をかけて頂いたお蔭で4,50人の方に来ていただいたのです。
ただ、経験上、年齢層が可也高くなることはわかっていましたので、すこし仕掛けをしました。私の友人達は兎に角忙しい年代ですが、無理を言ってきてもらったのが会計事務所の若い人達、銀行員の友人の部下など。

ただ、これは素晴らしい効果があります。先生達は若い人たちと話が弾み、場は明るくなります。そして、何より無理に来てくれた本人達が、普段なかなか経験できないことに接して大変満足して帰ってくれることです。

この日は、パフォーマンスに予定していたバイオリンが急遽だめになることはありましたが、名の知れた評論家をゲストに呼べたり、作家の友人のスポーツ界の偉い人がきて盛り上げてくれたり、いろんな人の協力で主催者の作家はご満悦ではありました。

パーティでどんなことがあるかというと、招待しない人が飲み食いしているときがあります。いろんな人がいるものです。バブルの頃の比べると、そのような人も減ったと思いますが、このような人は大した問題ではありません。
置き引きやご祝儀泥棒には気をつけなければなりませんが、そんな人すら少なくなったかもしれません、。
むしろ、画廊が嫌がるのは、前回も言ったことですが、他の貸し画廊のオーナーなどが入って作家達に暗に営業を懸ける事です。また、美術雑誌関係の名簿のセールスの人が何気なくお客さんに混じって来たりします。
私などは今の状況を考えると、一概に非難はできないと思っています。

何れにせよ、このような場面が銀座あたりのオープニングの一例です。ただ、これは恵まれている個展のオープニングでして、私の若い友人達は、やりたくても出来ないのが現状です。

この日は、私は平均年齢六十数歳の作家さんたちに二次会、三次会と連れ回され、”君の慰安だ。”といわれながら、すべて幹事をやらされ、送り届ける役目を頂いたことを最後に付け加えておきます。

次回は、美術以外の話題、例えば芝居の事でも書かせていただこうと思いますが・・・・。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2006年2月 6日 (月)

フィガロの結婚

皆さん、こんばんわ。今日は前回のテーマの”その2”を書くはずだったんですが、少しは時流に乗ったことも書こうかと思いまして。またまた脱線してすみません。

最近は、先日が生誕250年ということもあり、モーツァルトの話題が何かと出てきます。
私も少しは吹奏楽を齧ったので(すぐにジャズに奔ったのですが。)この人の音楽は好きです。クラッシック好きの人達の造詣の深いことといったら、その知識に感心してしまいます。
私も何度かはオーケストラも聴きました。N響も、ヨーロッパでも、NYではリンカーンセンターの傍に棲んでいたこともありますのでメトロポリタンのオケは安いリハーサルチケットで聞きにいっていました。
その、芸術性は素人の私でも感動を覚えたものです。ただ、それも随分ご無沙汰でして、家でCDすら聞かないこの頃です。
ただ、モーツァルトは音楽もそうですが、映画の”アマディウス”が忘れられず、その破天荒な人生に魅力を感じてしまいます。

たまたま、チケットがあったので昨日、オペラの”フィガロの結婚”を小学生の娘と二人で見に行きました。彼女に内容が理解できたかどうかはわかりませんが、ある種の琴線には触れたようでした。
実は”フィガロの結婚”を見るのは4度目でしょうか。今までに見たものと比較することも無意味なことでした。巨額の資金でつくられているものではありませんし、観劇代もゼロが1つ違っていました。ただ、声楽家の素晴らしさと頑張りは充分伝わってきました。
声楽家の歌声を聴くと本当に感動します。
”人間の声というのは、こんなにも素晴らしいものなんだ。声が楽器に昇華している。”
それを心底感じることが出来るのです。

楽しい感動です。そして感じるのはモーツァルトの音楽はどれも素晴らしく芝居を盛り上げるのです。”フィガロ・・。”は最もポピュラーな喜劇のオペラです。オペラなどというと二の足を踏む男の人も多いと思いますが、ここに縁あってお話できている皆さんには一度観て頂きたいと思います。

モーツァルトの音楽の素晴らしさと、オペラとオーケストラに、そして何よりも”人間の極限まで鍛えられた声”に感動することをお約束します。
私のような知識の無いものでもそうなんですから。

| | コメント (11) | トラックバック (1)

2006年2月 2日 (木)

美術家の集う所 その1

現在の美術家をめぐる状況を私が知る限りの事を少しばかりお話します。
彼らがその作品を発表したり、売買を委託あるいは買い上げてもらう”画廊”というものの存在があります。
バブルが破綻してからの美術を取り巻く状況をご存知の方も多いと思いますが、銀座を中心に多くの店が閉鎖、倒産し、古くからの有名な店くらいしか売買画廊は残っていないといわれています。それすらも大変な苦戦をしいられているのです。
残っている画廊というのは殆んどが貸し画廊といわれるものですが、それすらもある地域では全滅して店がラーメン屋さんになったと聞きます。都内の一等地ですが、俄かに信じられず見に行きました。全てが作り変えられたということはありませんが、確かに様変わりしており、貸し画廊も展示物がなく開店休業のような店舗もありました。特に銀座ですが、個展のオープニングパーティに顔を出しますと、見知らぬ人から名刺を頂くことが多く、見ると貸し画廊のオーナーで在ったりします。本来、その画廊からあまり歓迎される存在ではないのですが、なりふり構わぬ営業活動も仕方ないともいえます。
貸し画廊も銀座の一部を除きなかなか埋まらないようです。展覧会などは1週間単位ですが、銀座などはやはり高くて若手の作家にはとても手が出ません。
若い人は、少し街中から離れた所で、しかも個展をする費用は負担が大きいためグループ展が多く、それも2,3年に一度という状態です。なかには恵まれた人もいるのかもしれませんが。
創作意欲がありながら、その発表方法に苦労しているのです。

若手の展覧会に顔を出すことも多いのですが、客層も若く、それなりに楽しい初日だったりします。オープニングは持ち寄ったビールやワインぐらいしかありませんが、飲み物がでるだけましなパーティともいえます。それすらしないものも多いですし(勿論、目的はパーティをする事ではなく、また少しでも出資を抑えるためには、不要なものともいえます。)、なかには、会費を集め飲み物とコンサートを提供するオープニングもあります。知人の演奏家に場所を提供しお互いに助け合うという一面もあるのでしょうが。

私はお金を取ってコンサ-トをするのは考えものだと思う人ではあるのですが。下手でも、作家自身や関係者が手作りのパフォーマンスをお客さんにみせて、楽しんでもらうべきだと思います。
なかなか、日本ではまだここまではいっていませんが、作家にサービスマンとしての意識が薄いか、もしくは作品が作家の主張そのものであるため、そんな事は必要ないと思っているのか。型どうりの手順で終わるのが殆んどでしょう。
お金を掛けずにできることは、いろいろあるのですが。ただ、彼らにそんな要求をするのも酷な状況であることも事実です。

私が今後、この関係の仕事を続け、発展することができたら、作家の作品をより多くの人に知らせることはもちろん、個展なども作家と共に楽しみたいと思います。前途は多難ですけど。

次回は、私が最近関わった、おそらく極普通の個展のオープニングの様子などをレポートいたします。

| | コメント (13) | トラックバック (0)

« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »