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2005年12月30日 (金)

アートな場所。

日本はまだまだ豊かな国であるとはいえない。だがこれ以上のものをもとめても、などと考えることもある。
確かに日本で芸術といわれる分野に関わる人は一部の伝統芸能に携わる人を除いて恵まれているとは言えない。音楽、演劇、絵画などを職業とした人は社会の偏見と戦い、経済的には殆んどの人は生活も儘ならない。
国家としての取り組みとしてはフランスなどのように国の予算の多くを文化の為に割くこともなければ、アメリカのように個人の寄付で運営できるような税法も含めたバックアップもない。
ただ、食べることが優先の生活に芸術など論じることは滑稽であるし、教育という最も大切なことを成功させてくれた先人達には感謝して余りあると思う。
文化の隆盛は経済と切り離せないものである。残念ながら富がなければ育たない。
私達はこれからどのように関わり貢献できるのだろう。
自分にできる僅かなことから始めるしかない。
芸術の発展は心を豊かにし、創造的な人間をつくりあげ社会に貢献できるものであると信じたい。
年の終わりにあたり、今年の何もしなかったことに対し反省し、来年こそは、と思った次第です。

今年、この拙いブログに一度でもコメントいただいた皆様、本当に有り難うございました。来年こそは、もう少し内容のあるもの書きたいと、そしてお叱りを頂かない程度に更新を早めたいと強く思っています。今は。
来年も温かい、楽しいコメントをよろしくお願いいたします。そして、まだまだ未熟な管理人ですが、イノセントハウスの住人の皆様が喜んで頂ける場所にしたいと思います。
本年はブログにてお世話になり有り難うございました。来年もよろしくお願いいたします。
何かと気ぜわしい年末、お体くれぐれもご自愛下さい。

今日も美術舘について書くことを予定しておきながら、別の方向を向いてしまいました。すいませんでした。来年こそは・・・。
今日のテーマを最初にいつも書くのです。テーマは何処かに行ってしまったようです。

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2005年12月23日 (金)

みんな がんばってます。

今日は仕事関係のお話とお報せです。
昨日(21日)予てから紹介をされていたステンドグラス作家の方のお誘いにお応えする為、彼の作品を見に学芸大前に行って来ました。喫茶店の店内を借りての展示でしたが素晴らしい出来栄えでした。
作家は30過ぎたばかりの若い方で、今年の7月にフランスでの3年間の修行を終えて帰国されたばかりです。
私はステンドグラスそのものにまだ理解できないのですが、女性の方であれば感激されるのではないかと思うような出来栄えでした。
近い将来。私のHPやここでもおみせできるかもしれません。お好きな方はその時にはぜひ見てください。

そして今日、有楽町の”朝日アートギャラリー”へ今日から27日まで開催されている”ASAHI銀座5万円市”のオープニングパーティに顔を出してきました。
毎年この時期に朝日新聞の、このギャラリーが主催して作家さんに全て5万円の売値で出してもらう企画です。100人以上の作家が200を超える作品を展示しています。
知り合いの作家さんが何人かおられ、またこのギャラリーによくお世話になっているので出かけた次第です。
作品は具象、抽象、版画、イラストなど様々ですし、作家も若手からベテランまで幅広く構成されています。

面白いのは、当然力量は違いますので、私の感想では”5万円だと安いかも”と思えるものもあり逆に”本当にこの値段つけるの”というものまで。
しかし、あくまで買い手の主観ですので高い安いは本人の判断だと思います。
私がもし絵画のひとつの見方を皆さんに提案させていただけるなら。
作品を見るとき自分がお金を払って買う対象として観て見て欲しいです。もちろん観るだけでもいいのです。ただ、絵の見方が変わります。ある意味、審美眼が付きます。
絵を見て褒めるのと買うというのは全く違ったものです。
褒める人はまず買いません。買う人は黙って買います。当然、真剣になります。その絵について深く知ろうとします。
けっして買うことを勧めているのではありません。ただ、その気持ちで観て見ると、今までと違った感覚が味わえるかもしれません。

22~27日まで、有楽町マリオンのすぐ横、高速の下にあります。近くまで行かれた方は時間つぶしにでも覗いてください。

次回は美術舘のことでも書きたいと思います。皆さんの思いも教えてください。

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2005年12月19日 (月)

このアパート貸します。

皆さん、お元気ですか。
寒くなりましたが、風邪などひいておられませんか?
私は元気なんですが、ブログの方はご無沙汰で申し訳有りません。コメントもくれたことが無い悪友が”最近、更新してないね。”なんて電話してきました。
”代わりにお前が書け。”とも、”もうすぐお前の銀行合併するけどシステム障害は大丈夫なんだろうな。”とかいってやりました。

でも、本当のこというとなかなか書けないものですね。どうしてだろうと考えたのですが、結論として私のブログには一貫したテーマが無いことに気づきました。
もともと、気ままに書こうと思っているものですから、それがいけないのかもしれません。
例えば、ジャズや美術をテーマにしている人のブログを拝見すると、ご本人が造詣が深く、経験もあるので、話がどうしても専門的になり余程の知識がないと入り込めないものが多いように思います。例え専門的な知識があろうともいろんな人が興味を持って見てくれるように解りやすくデフォルメされた楽しいものにするのが私の理想です。
勿論、私の知識は中途半端なので専門的ではなく、楽しみ方とか、その事象の周辺に話題がいってしまうのですが。

時々、どなたか書いていただきたいくらいなんですが。
笑われそうですが、これでも昔は物書きに憧れた事などありまして、脚本、戯曲、私小説下手のなんとかで書いていましたが、今は企画書を書くのも苦痛で。

そのうち、私のゴーストライター(ワルノリの好きな友人)が登場するかもしれません。でも、そいつの方が評判良かったらどうしよう。
次回は美術について書いてみようかと思っています。ただし、美学にはなりませんのでお許し下さい。

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2005年12月13日 (火)

ジャズ喫茶 東京より

東京でのジャズ喫茶の思い出は残念ながら強いものがないのです。
私が東京へ上京した目的が、以前からお話しているように別のものであり、生活費を稼ぐことと、芝居の訓練で全ての時間を費やしていたからです。

それでも、時には新宿や吉祥寺には出没していましたが、極端に少なくなっていました。その中での思い出と言うと、一時期、ジャズシンガーがマスコミ上を賑わせた時がありました。阿川泰子がコマーシャルにも登場した時です。
その時は、六本木のBなどにも何度か足を運びました。当時、中本マリや真利邑ケイなどを初めて見たのもそこでしたが、私のような京都の田舎のジャズ喫茶育ちには、華やか過ぎる世界でした。店の人種も含め、ジャズの捉え方が違うように感じました。

それからは、時々思い出したようにしか、ジャズ喫茶との接点はなくなりましたが、昨年久しく逢っていなかった知人と、どちらともなくジャズを聴きに行こうということになり新宿のある店へ入りました。
ライブをやっていましたので、これ幸いで、相手も私も暫くぶりに心躍る時間をすごしました。ところが、驚いたことにこの店は今日この日をもって閉店だったのです。時の流れは仕方ないとはいってもジャズ喫茶がどんどん無くなっていくようで残念でなりません。

この一方、最近のジャズ喫茶の流れで見たものがあります。先日、表参道の”Bノート”というライブハウスへ行きました。私の永年の相棒が、日頃の私を不憫とおもったのか単に自分が楽しみたいだけなのか(たぶん後者です。)二枚のチケットを買ってきました。
聞けば一人、チャージだけで8500円、軽く飲み食いをすれば数千円のプラス。何をするんじゃ。と思いましたが喜んでついていきました。

先ず店のつくり、下駄を履いてはいるわけにいかない雰囲気。この値段でも広い店内は満員盛況。30代、40代のビジネスマンも見受けられますが圧倒的に50,60代の人達。若者がまったく観うけられない。この値段じゃ無理ないか。完全な大人の空間。
ミュージシャンは一流の外タレ。お客さんもマナーよし。なんの文句もない。ただ、わたしのジャズの楽しみ方ではないだけ。ジャズとはもっと泥臭いもの、人間味の感じるものと思っている私には馴染めない空間。しかしながら、横にいた相棒は大満足の様子。
ジャズも時代と共に変わってきているのだろう。

東京のジャズが全てこのような流れにあるとは思わないが、今後どのように付き合っていくかここは一つ考えなくてはならないようだ。

更新が遅くて、お叱りをうけることも多いのですが、只今、決算期につきお許しを頂きたいといっておきます。(来年になったら、また別の言い訳がでるとおもいます。)

次回からは、美術館や版画のことなども書けたら?書いてみたいなーと思っています。

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2005年12月 9日 (金)

ジャズ ニューヨークの日々

私がNYに暮らしていたのは二十年前にもなります。
現在のこの街は友人たちに聞く限り、私のよく知っている所とはかなり様子が違うようです。
治安もかなり良くなって、きれいになったようです。ただ、この街の持つ、ただならぬ魅力が
薄れてしまったのではないか心配です。
この街は、アメリカであってアメリカではありません。特異な文化圏です。
緊張感を維持しなければ生きられない、そしてそれが自分の可能性を限りなく感じさせてくれました。
NYでの私の生活はブログのバックナンバーの九月に、イノセントハウスその1から4に書いています。もしよろしければ読んでいただければ、その中にジャズの事も書いています。
私の好奇心だけで放蕩の日々の歴史です。その中にも書いていることですが、当時の事をお話します。

私は当時、日中は美術館と画廊に行き、夜はブロードウェーでミュージカルをみるかハーレムに出没し、深夜にグリニッジのジャズの店に顔を出すという今では考えられない贅沢な時をすごしていました。
ただ、私の行く店はどんな店かというと、ワシントンスクエアーの傍にあった”ブルーノート”などには絶対に行きません。
チャージが高いからというのが本音ですが、そこの客の半数は日本人で埋められていました。
たしかにミュージシャンは一流でしたが、このグリニッジという街がジャズそのものですので、安い店で私には充分でした。

日本人のミュージシャンも何人か友人になりましたが、生活を何とか支えている音楽家が圧倒的です。
私の行く店は、カウンターと僅かばかりのテーブルに人があふれています。
ビールとポップコーンで5ドルです。日本人の観光客が集まるところはチャージだけで30ドルから40ドルです。
私には別の世界でした。私の行く店は、当然ですがメンバーが揃っているはずは無く、ベースとドラムにサックスくらいでした。時々、何かがかわるくらいです。それでも充分楽しめます。
客は皆いい顔をしています。まさしく身体でスイングをしています。そのうち、客の老夫婦などが、二人で踊りだしたりします。この空間そのものがジャズなのです。
私は朝までこの中で浸りきるのです。

そのうち、ここだけで飽き足らずハーレムなどにも足を延ばすようになりますが。
次回は、東京のことを書いてみます。ご期待ください!とは、いえないけど。

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2005年12月 6日 (火)

ジャズ喫茶 京都の思い出

京都に関しては学生時代を過ごしたこともあり、それ以前の、小学生の頃から何度も訪れていたので、こだわりが人一倍でどんなガイドよりも京都の隅々まで知っているという自負がありました。しかし、それも二十数年前の話です。
今は滅多に訪れることも無く、時々仕事がてら脚を運ぶと昔との変わりように驚かされます。
学校さぼって、いっていた店も随分なくなってしまいました。でも、自分の中ではあの日々は不変です。音楽に芝居に遊びに夢中で勉強がでてきませんが、それでも学生時代を京都で過ごしたいと願った選択だけは間違っていませんでした。
すばらしい時をすごせました。私は東京住まいですが、子供たちには、せめて学生時代は京都で過ごして欲しいと願っています。

京都の話題であればブログの更新が遅いと怒られている私でもいろいろ書けそうですが、今日は京都のジャズ喫茶の思い出を書いて見たいと思います。みなさんは京都にジャズ喫茶というと違和感があるかもしれませんが、日本のジャズ喫茶の草分けは京都なんですよ。私たちの学生時代は有名な店もたくさんありました。
そして学生は解ろうが解るまいがジャズを齧っていないと、格好がつかなかった時代。と思っていたのは私だけかもしれませんが。

私の場合ジャズのライブハウスもレコード聞く喫茶店も全てまとめてジャズ喫茶といっていました。実際、京都では普段はコーヒーを飲み、夜は酒を飲みレコードを聞く店で、時々、チャージを取ってライブをやっていました、
北大路や河原町にはライブを専門にする店もあり、東京の一流といえるバンドもでていました。私は、学生の身分では時々しかいけませんでしたが、いくと友人達と”やはり、ジャズはライブだなー。”とはいいながら、自分にはジャズ喫茶が一番だと感じていました。
京都には丸太町に”大和屋”がありましたし(高校時代、五木寛之のエッセイを読んで憧れていました。)今出川通り、北白川、河原町にもそれぞれ個性の違う店が多くありました。

私の、あるいは私たち学生のシマは、人ごみの中の河原町もありましたが、むしろ北白川辺りにありました。夜の十二時すぎくらいに下宿を出て店に行きます。酒を飲ませる店ですが、コーヒーだけで朝まで本を読んでいる者もいました。よく考えると、あの薄暗い店内でよく我々は本を読めたなと思います。
私などはボトルを入れていつも飲んでいました。ボトルといっても銘柄は”サントリーのホワイト”です。安く酔えるには最高でした。朝まで学生たちは寡黙でそれぞれの時間を過ごします。まさしくジャズに浸る時間でした。

それから、私には忘れられない店が有ります。荒神口にあったそのジャズ喫茶は先年訪れた時には、朽ち果てた廃墟になっていました。時の流れは残酷です。
その店は狭い階段を上った二階にありました。小さな店でしたが品のいい雰囲気のある空間を創っていました。私はいつも一人でコーヒーで二時間ばかり粘るのが常で、帰り道に加茂川の河川敷や御所の中を歩くのが好きでした。
この店は私達の世代のバイブルともいえる”二十歳の原点”を書いた立命館大学の女子学生がかつてバイトをしていたといわれる店でした。
私は高校時代、この本を読んで、この店に行けば彼女の心の内が解るかもなどと考えていた節があります。もちろん、理解などできるはずもありませんでしたが。
この作者は、日記を完成させることありませんでした。バイトを休んだ日、彼女は鉄道自殺を選択します。

京都のジャズ喫茶には、思い出がいっぱい詰まっています。
次回は東京、NYのジャズ喫茶の思い出を書いてみようかと思っています。興味を持って頂ける方は、お付き合い下さい。

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2005年12月 1日 (木)

風の盆・その楽しみ方。

このテーマ、書く事を公言しておきながら、なかなか手を着けなかったのは書きずらいとかよりも、マスコミはじめ個人の情報ツールで充分に知れ渡っており、私が書く意味を見出せないでいたからだ。これを読んだ方にとって真新しく無い話題であるかもしれないことを、お許しいただきたい。

風の盆が年間を通して(二月の温州会に始まり十一月まで、公式なものだけでも、いろいろ組み込まれている。)スケジュールが出来ており、九月にピークを迎えることは、以前書いた通り。むしろ九月を外すのが、本当の楽しみ方であろう。
それに私は八月が特に好きであり、夕方になると各町内会の公民館や神社などの広場に出て行く。地方、踊り手、歌い手が毎日練習してきたものをすり合わせしている。
街のいたるところから三味線や胡弓の音が聞こえてくる。
心地よい風に当たり、とても贅沢な時間を過ごすことができる。私は勿論、前夜祭などというものは見向きもしないが、観光客にそれをいうのは酷かもしれぬ。
ただ、ぜひ街を歩き回って欲しい。練習風景を見ることを拒否する人などはいない。この祭りの真髄があじわえるのではないだろうか。

そして私が一番好きな日にちは・・・。これを言うと怒る町の人がいるかも知れぬ。自分たちの楽しみを採るなと。皆さんは九月三日は地元の人間が自分たちの為に、朝まで踊りつづけ、流しをすることを、ご存知だと思う。しかし、私が好きなのは別の日だ。
私が言ったからといって急に観光客が増えることもないし、すでにウエブでこれを言っている人もいる。それよりも、一昨年はTBSがニュース23で”誰も知らない、もうひとつの風の盆”というものを流そうとした。新聞にも番組欄に告知された。ところがこの日、風の盆らしい話だが、突然の大雨で取材クルーは何も撮らずに東京に引き上げた。
その日とは。風の盆は八月三十日で前夜祭が終わり、九月一日より本番が始まる。いろんな雑誌や案内書には三十一日は準備のため何もやっていないと書いてある。
確かに嘘ではない。ただ正確には違うとも言える。この一日を、私は、巨人の江川に例えて”空白の一日”と詠んでいる。

昨年の私のこの日の行動をお伝えしよう。
夜の十時過ぎくらいに、相棒とともに家をでる。街のいたるところで明日の踊りの練習、打ち合わせを遅くまでしている若者たちがいる。心地良い風の中で、三味線や胡弓の音が流れてくる。練習風景を見ながら路地裏を歩く。十二時近くになり、K町の”おたや階段”へ行く。この場所は観光客には大人気の鑑賞スポット。行くと”いたいた”地元の人でなさそうな楽しみ方の達人たちが。人数は十数人くらい。だまって座っている。じっとその時を待っている。明日のこの時間、この場所はとんでもないことになっている事を考えると、あまりにも静かだ。ぼんやりと月を眺めていると、おもいおもいの自前の浴衣(風の盆は各町内、決まった受け継がれる浴衣がある。)で人々が集まってくる。
手に手に三味線と胡弓を持っている。三十人位の三味線弾きが輪になった。真ん中にいるリーダーが一声発する”さあ、ではいこうか。”ただ一人が最初の旋律を弾いた途端、いっせいに三十本の三味線が音をだす。全員が同じ音をなぞる。
九月一日、午前0時、風の盆が始まる。観客でとなりの人と会話するものなど一人もいない。できるわけもない。皆、圧倒され、酔ってしまい、言葉を忘れる。体に震えが来る。
地方は納得するまで弾き続ける。一時間ばかりでそれは終わった。

私の横の相棒は放心状態をようやく抜け出して言った。”踊りばかりを褒めるようじゃ、そんな観光客はまだまだよね。”だと。この人は都会育ちで、いつも踊りたがっていたが、最近の楽しみ方は違ってきたようだ。まあ、十年もかよって漸く少し判り始めたのかもしれない。
この日は、S町で胡弓一本、三味線三本、歌い手一人の流しに遭遇したのが、午前二時であった。それを最後に家へ引き上げた。

ある一日の私の楽しみ方です。
風の盆にこられる方に一言。体力をつけて真夜中、路地裏をあるきまわってください。危険なことはありません。ただ、雪洞の明かりの中でどんな流しに遇えるかは、運次第であることも、忘れないで頂きたいと思います。

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