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2005年11月26日 (土)

葛飾北斎展

今日、かねてからの懸案であった北斎展に、やっとでかけた。事前の情報で混んでいることは、判っていたので時間は午前中に、見るべき版画、肉筆画、挿絵をリストアップしていったにもかかわらず二時間かかってしまった。
どこにこんなに美術ファンがいるのだろうと、この業界を少しばかり知るものとしては、一言言いたい気持ちだった。
北斎の作品については、いまさら私などがくちを挟む余地も無い。見ればわかる、解説はいらないと言う所だろう。
企画、構成については、海外に流失したものも含め、北斎の九十年を辿るに充分の作品を集めたすばらしものだった。これだけの物を見れるのは、これが最初で最後であろう。

私は個人的に、北斎は、版画の下絵画家としてだけでなく画家として、日本美術界の最高峰であると信じている。北斎漫画をはじめて見たときの感激は今も忘れない。
対外的にも、外国では残念ながら、洋画、日本画は殆んど評価されず版画のみが認められていると言ってもいい。その中でも北斎は別格だと思う。

私が版画の中で木板にこだわるのも北斎がいるからであり、多くの木板の版画家も絶大な影響をうけただろう。

今日、強く心に感じたことがある。私は版画を少し学ぼうとして昨年、半年で約百五十冊の美術書を読んだ、北斎のものも七冊あった。しかし、今日見たものは、それ以上のものを与えてくれた。”読書百篇、意自ずから通ずる”という言葉があるが美術は見るに勝るものはなさそうである。

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2005年11月20日 (日)

文化に不可欠なもの・風の盆編

私の経験から言える事は文化に必要なものとは、経済力、富の集中でしかない。残念ながら貧しき所に文化は育たなく、栄えることはない。
私が学生時代を過ごし、大きな影響を受けた大好きな街、京都も平たく言えば日本の国民に対する永年にわたる、搾取の上になりたっている。それは誰にも否定できない歴史である。文化の育つ側面であると思う。

日本で見れば、京都、金沢などであり、世界的にみれば、芸術が最も栄える場所は経済的にも世界の中心の場所。その流れは、パリに始まりモスクワ、ニューヨーク、そしてバブルの頃の東京であった。因みに今後の芸術の中心は北京といわれて久しい。芸術の潮流を肌で感じたいならばその場所に行くのが最善。余談だが私は北京を除くすべての街で暮らしたことがあるが、暮らしただけでは、必ずしも感性が研ぎ澄まされるわけでは無い事は自戒の念を込めてお伝えしておこう。

さて、スケールは小さくなるが風の盆の街、八尾も例外でない。この街の歴史や風の盆の成立に関してはすでに多くの情報が氾濫しているので、別の話がしたいと思う。
風の盆に初めて接し、街を訪れた人がよくいう台詞。
”どうしてこんな田舎にこんなものがあるのだろう”と。実際、東京や関西の知人達から何度も聞いた。
結論からいうと、やはり、豊かな財力のなせる業である。江戸時代、富山藩のお納戸としてこの小さな町は藩の財政の七割余りをひとりで稼ぎ出していたのは有名な話。
この名残が残るものの一つに、5月の祭事の曳山祭りがあるが、一基、現世価格で数億から数十億かかるといわれる山車が僅か数十戸の町内が一台ずつ保持しているという事実からもわかる。
そして、その歴史の中で、町の人の生き方も粋人そのものでもあったらしい。町には俳壇があり古美術の世界があり、音曲があふれていた。
その血が受け継がれている。旧町の人々にはこれを守り伝えていく使命感は、真実のものがある。(それだけに、現実の今の時代に之を守り、維持していくための町の人の経済的、時間的、精神的な負担は大変なものであり、公的な助成など無いに等しく、自分たちの経済的メリットは何も無い。)

風の盆をささえる町の人を動かすのは意地とプライドだと思う。
そういう意味で、今のこの世の中の騒ぎ方はいい影響ももたらしていると思う。観光客が余りにも多いこと、マスコミが騒ぎすぎること、これらに大変な抵抗感を持つ人も多い。確かに風の盆は観光客のためのものでなく、自分たちが先祖から受け継いだ自分の一生をかけてつくりあげるものであるし、なにより経済的になんの恩恵も受けないのに観光客にとやかくいわれたくないのだ。実際、この町は観光では生きていない。生活手段を持ちながら日々、芸の鍛錬をするする人々であり、お祭りで収益をあげるのは一時的に外から入り込む観光業、物品販売の人達である。
それなのに、ツアー客から罵倒され、対応が悪いと投書され、町の人から見たらいい加減にしてほしいだろう。極端な話、町の人にとって神聖なものを土足で踏みにじっているのだから。
ただ、町の人は人がいい田舎者だから決して口には出さない。が、すべての人に対して思うのではなく、自分たちの価値観や文化を理解してくれようとする人には、たいへん暖かい気持ちで答える。よろこんで、心の内にも、棲家にさえもむかえいれる。もともとは、気のいい人達だから、観光客が遠くからわざわざ来てくれること嬉しく思わないはずが無い。

そこで衆目が集まるメリットは、やはりモチベーションである。この伝統を受け継いでいくのは並大抵の努力ではなく(町の人は、そんなふうには考えていないかも知れぬ。生まれたときから続けるのはあたりまえのことと捉えているかも。)後継者も大きな問題点である。
しかし、若者たちや、町の人がつづけるには充分な精神的な励みも存在するのではないだろうか。
最後に町の人の本音の一つを代弁しようと思う。これは私もかつてこうであった。
世間は風の盆のイメージをことさら叙情的とか、幽玄とかのことばに置き換える。なかには踊り手は死者の魂とともにあるとか、無の境地で踊り続ける、とか。
たしかに、見る側が受けるものとして理解できる。よく、ねぶたや、阿波踊り、だんじりに比較され動と静という表現をする人が多い。
では、やっている本人たちはどうかというと、たのしくてしょうがないのだ。ココロのなかに湧き上がる興奮は、阿波踊りにも負けないはずだ。それが事実だと思う。

説教じみた、長文になってしまいました。町の人からは、事実と違うと指摘されるかもしれませんが、その時にはこの場で訂正させていただきます。
次回はいよいよ、風の盆の楽しみ方を書きたいと思います。ただし、ウエブ上でもいわれているかもしれませんので、多くを期待しないで頂きたいと思います。

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2005年11月17日 (木)

niftyに物申す

最近ココログ、ニフティがミスをしているようだが。
私の16日付けのブログが空白。実はキーボードを打つのが遅いからなのだが、二時間も掛けて”風の盆・有名人編の本編”なるものを書き上げた。最後までなんとかこぎつけ、いざ記事の確認・保存をしようとした時、”只今、込み合っています”の表示がでて、その後私の文章は消えた。私に何かミスがあったのか?私の記事をかえせー。

と、いうことで16日付けは、そのまま残すことにしました。
もう、この記事を書くのは、やめた。ただ、いつか復活するかもしれませんが・・・・。
ただ、この祭りに多くの有名政治家(数人の元、前総理経験者や派閥の長など)やジャーナリスト、多くの芸能人が、やってくる。それは余りにも、度がすぎているようにも見える。ただ、この人達もこの街に来れば、地方(じかた)や踊り子の”追っかけ”をして夜中の路地裏などを歩き回る。著名人が素人を追いかけまわすというのも、この風の盆が持つ力かもしれない。

次回は、この街の人々の気質などに触れてみたいとおもう。

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2005年11月16日 (水)

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2005年11月14日 (月)

風の盆・有名人編

私はこの話題に関してどうしたものかと考えています。これを観ていただく人が少数といえども誰の目にも触れる訳ですし。今、八尾や風の盆に関して多くの情報が溢れています。公式の物、地元民の物、熱烈なファンの物、中には素晴らしできのものも多いです。単純にビジュアルを追いかけるだけでなく、問題点を想起させるものもあり、地元民の大変な苦労、悩み、負担を感じさせる物もあります。(観光客が多いなどという単純なものでは無く)

私には八尾に何か言う資格も手助けもできませんが、自分の知りうることを公言する中で自らも考えて生きたいと思うのです。ただ、風の盆をテーマにする時、私はどうしても八尾という範疇で考えてしまうのです。なぜなら、風の盆は八尾にとって一つのカテゴリーにすぎないからです。また、逆説的に言うならば風の盆を知るには八尾の全てを理解しなくてはならないのです。

八尾には風の盆以外に多くの祭事、催事があります。文化的にも俳壇があり古美術の権威もあります。おわらも、2月の温州会に始まり11月まで公式なものだけでもあるのです。9月の三日はその中の一部にしかすぎません。
何か話が違う方向に行ってしまいました。私が言いたいのは、もし風の盆を深く知りたいと思って下さる方がおられるならば、いろんな目線で見ていただきたいのです。

さて、この項はどうしましょう。有名人とは公人であるという判断からいうと実名でいいと思いますし、イニシャルトークにすると何もわからなくなりそうですし。ただ殆んどの人がプライベートのお忍びだと思いますので一部の人以外はお名前くらいにしたいと思います。

私は、今年は風の盆には家庭の事情で行けず、前年までの私が街中で見たものだけを書いてみます。人ずてに聞く来訪者はこの比ではありませんし、本当にそんな人まで来ているのというものまでありますが。(因みに、今年は前夜祭の頃に帰りましたがそれは見ません。狭い範囲に人が押し寄せ見れたものではなく、なにより街がまだ、その気になっていないのです。そんな時は各町内の練習を見て歩きます。これはいいですよ。踊りだけでなく礼儀作法まで伝えられられていくのがわかります。町中の至る所から三味線と胡弓の音がきこえます。私は同じ時間とお金を使っていくのならこちらをお勧めします。贅沢な時間ですよ。)

前振りが永くなりすぎました、この続きは次回にさせてください。ごめんなさい。ただ期待しないで下さい。大したことは書けないし、書ける人でもいつものように楽屋話になると思いますので。

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2005年11月11日 (金)

風の盆・私見 作家編

風の盆に関する小説、エッセイはかなり出ています、というより近年特に多くなったようだ。世論に敏感に反応するのも、商売上あたりまえのことかもしれないが。
私が読んだものの中から、作品の出来ではなく、その本に纏わる自分の時代を描きたいと思う。

長谷川伸・・・"一本刀土俵入り”歌舞伎の有名な演目であるが、この中に出てくる遊女、お蔦は八尾の生まれで、劇中、越中おわら節が流れ、役者が胡弓を弾く。(現在、歌舞伎の中でこれを弾けるのは坂東玉三郎ぐらい)この作家は八尾を愛し、高浜虚子、小杉方庵らと歌詞の精選などに尽くした。余談ですが歌舞伎の役者をよくお祭りで見かける。週刊誌を賑わせた、ある有名な方は10数年通い続けておられ9月3日の深夜には必ずお会いする。

吉井勇・・・"歌集・寒行”八尾の西町のM旅館に疎開していた時に詠んだ歌が多い。この時、地元の画家・林秋時と深い交友があった。林さんは私が子供の頃何度か見た記憶があるが、死後、版画がこんなに評価されとはおもわなかった。また、同時期、富山の福光に棟方志向が7年間疎開しており、林秋時と交流があったらしい。またまた余談ですが、私の知人に画家・版画家で美大の先生をしておられた方がいるが、この人の所へ林が版画を習いに来たことがあると、この人から聞いた。学歴、人脈のない林を考えれば納得できる話。私の知人は20歳のころから棟方の弟子だった人。版画に興味のある方は私のプロフィールからHPにアクセスするか、ブログのマイリストから入って頂ければこの作家の版画にたどり着きます。

五木寛之・・・”鳩を撃つ”という単行本の中に”風の柩”と言う作品がある。私は高校生の時、五木を読み漁っていた勉強もしない学生だった。まったく偶然の出逢いで(読んでいるうちに何処かよく似てる町があると思ったら、八尾の事で驚いた)今から30年以上も前に書いている。この作家の慧眼にいまさらながら感服。

高橋治・・・言わずと知れた作品。最初は”崖の上の二人”という題名で月刊誌に連載していたことをおもうと題名は如何に大切かと。ただこの人は、思いつきでこの作品を書いたのではなく、金沢の旧制中学の時からこのお祭りにとりつかれて、40年以上、温めた作品。上新町の本の中に出てくる喫茶店の二階でこれを書いていたのは有名な話。因みに、この人は毎年、必ずお祭りの時、お会いします。上新町に隠れ家を持っていますし、八尾の町の人と言っても過言ではありません。この人の関係ですと、なかにし礼、もよく見かけましたが歌は書いても小説は書かないとのこと。高橋治、以上の物は書けないからといっているらしい。”風の盆”に関して。

この他、森村誠一の”人間の証明”のなかで八尾がおおきな意味を持ったときにもおどろきました。しかし、何と言っても推理小説ですね。最近は。先ずは少し古いところから。

和久俊三・・・ご存知、赤かぶ検事の”風の盆・殺人事件”?だったと思う。これは私事ですが、このシリーズはテレビ化されていて京都の撮影所で撮っていたのですが、当時、私は学生の身ながら時々、これに端役で出ておりました。そして、和久氏は京都在住の弁護士さんですので、よく撮影所でお会いしました。何度かおはなししましたが、もちろん八尾の話はしませんでした。作家はかなりの”風の盆”通でした。

西村京太郎・・・”風の盆の殺意”この人は支持しません。作品の出来もありますが、何といっても、この人は八尾に一度も来た事が無く、スタッフの集めた資料で書き上げた。売れっ子にはあることかもしれないが、作家は自分の脚で書くもののはず、ベストセラーなど糞食らえだ。でも、この人も京都に住んでいるんだよな。祇園で見かけたこともある.。勿論、むこうは、御茶屋に入って行き、私はその前を通り過ぎただけ。それも含めて許せない。

内田康夫・・・”風の盆・幻想”現在売り出し中のもの。中身は別にして、4年間掛けているらしいのでリサーチはよくできいると思う。ただ内容が生々しく感じるのは私だけだろうか。

これ以外にも、石川某氏なども推理物を書いている。まだあると思うが、あまりにも脱線した文章を長々と書いたが何処か繋がった縁を感じるものがある。ただ、偏見に満ちたものになったことは、お許しいただきたい。次回は風の盆・文化人、芸能人編を書こうと思うが、良く知っている人もいたり、今回以上の身内話があり,書くことを躊躇ってしまうかもしれない。

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2005年11月10日 (木)

風の盆・私見

随分と季節違いの話題だとおもわれるかもしれないがこのお祭りに関していくらか書きつづけようかなどと考えている。若い世代にはあまり興味の無い話題かもしれないが、中には随分よく知っている人もいる。
私の生まれ故郷のお祭りである。ただその町の中でもこのお祭りに参加するのは旧町と呼ばれる江戸時代からつづく11の小さな地区からなっている。富山平野を見下ろす小高い山の上に街はあり、町全体を川が囲み、その上に石垣が積まれ住居が重なる。要塞のようでもある。この街に300年つづく祭りが”風の盆”といわれる。
最近では、毎年のようにテレビ、新聞にとりあげられ、国営放送も民放もドキュメンタリー番組を創ったり小説も歌もと、まことにマスコミのいいネタになっている。

私はこの街で生まれ育った。生まれた時から祖父の三味線と民謡をきいて育った。そして2,3歳から踊り始める。地方(じかた)と呼ばれる人は子供のときから楽器をする人もいるが多くの人は踊りをやめてから本格的に始める。踊りは25歳前後で街の公式行事から引退する。なぜと不思議におもうかもしれないが、いろいろな訳はあり、これは誰にも変えられない不文律である。ただ、これで一生、踊らないわけでなく、各、町内の特色ある浴衣が着れないだけであり、真夜中、自前の浴衣で踊っているのをみかけると、とてつもなくうまい。
生まれ時から年間を通して踊りの練習をするので、高校生くらいになると、驚くほどうまい踊り手になっている。事実、東京からくる来る日舞の家元たちが欲しがる子がいるらしいし、三味線もプロから引き合いが来るし、胡弓などは既に、CDもかなりヒットしたプロの演奏家もいる。一年じゅうまちのどこかで音が聞こえる。

こんなどこか浮世離れした街があるのです。私の棲む東京でも、このお祭りが好きで、嵌ってしまう人がまわりにかなりいるのです。特に、芸術関係の人には多く、このお祭りの事を楽しげに話します。そして、そんな時、私は黙ってきいているのです。私が18歳まで、この街で育ったことを知る人は、わずかばかりの人です。
いろいろの事があり、この街もお祭りも距離をおいていたのですが、やはり、忘れることが出来ないらしく、今は都会育ちの子供のためにも残してやりたいと考えているのです。

永く、封印していた故郷のことを書こうと思ったのは、私の周りでも風の盆に興味のある人も多く、あまりにも有名になったがゆえ、まちがった情報もおおいのです。だからこそ私のあくまで私見で話をしたいと思います。故郷の人からお叱りを受ける、まちがいもあるかもと思いますが、お許し頂きたいとおもいます。

次回は、先日、書店で風の盆の本をみかけました。本の中の風の盆に物申すとでもして書こうかとも。また、みなさんがよく疑問に思うこと、なぜあんな田舎にあんなものが、文化があるのだろうということなど。
正しい歴史は文献などでもいろいろ明らかになっていますので、私なりの解釈を加え、お話したいと思います。また、この街の人々の気質をもこのお祭りに、大きく影響していることなども、町の人に怒られない程度の裏情報も、お伝えしたいと思います。それでは次回に。

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